北極海へ

カナダ - 150年 街道をゆく

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北極海へ

翌日は曇りだった。

ここでは天気が目まぐるしく変わる。最初は晴天でも、やがて曇って雨が降ることも珍しくなく、一日の中でコロコロと天気が変わるので、朝がもし晴れていても、あまり嬉しくはない。

モーテルの食堂で昼食用のサンドウィッチとコーヒーを買って出発した。これだけで1000円ほどと高いが、僻地だから仕方ない。

ガソリンも、イヌビックに近づくにつれてだんだんと高くなる。車がSUVでタンクが大きいこともあるが、満タンにすると8000円ほどになる。リッターあたり190円くらいだろう。これに比べてアメリカではガソリンが安いので、カナダの中でも僻地に来ているアメリカ人は「ガソリンが高い」といつも文句を言っている。

途中で、北極圏に入る記念碑があった。

北緯66度33分の域に入ったのだ(北海道の最北部で北緯45度)。

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北極圏では夏に太陽が沈まず、冬には太陽が上がらなくなる。さすがにここまで来ると、ずいぶん遠くまで来たなと思う。デンプスターでは休憩所に簡易のトイレが必ず置かれているので、トイレ休憩などは困らない。ちなみに、今日の目標であるイヌビックの北緯は68度21分だ。

イヌイットの村を通過するところで、フェリーの渡しが二度ほどある。といっても整地した河川敷に直接、カー・フェリーを寄せるので素朴なものだ。確かにこれでは、大雨が降ると通行が難しくなるだろう。

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二つほどイヌイットの村があるのだが、その一つに商店があったので、そこでコーヒーを買ってトイレを借りた。しかし出発してしばらくたって、そのトイレに携帯を置き忘れたことに気づき、慌ててもと来た道を猛スピードで戻る。

50キロほど行ったところで気が付いたので良かったが、またフェリーの渡しに乗って戻られなければならなかったので、気が気でなかった。幸い、店の番をしていたイヌイットの女性が忘れ物に気が付いて保管しておいてくれたので、携帯を取り戻すことができた。しかし往復で100キロほどのロスになったのは痛かった。

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私が通った後、デンプスターでは車で移動していた5人の中国人パーティが事故を起こし、2人ほどが亡くなる事故があった。

ダート道も慣れるとスピードを出せるようになるのだが、見通しの良い道の次には先の見えない急カーブが連続で出てきたり、長いアップダウンも激しく予測がつかないので、いつ事故が起きてもおかしくない。特に景色が良いので、風景を見とれながら走ると危ない。

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私も猛スピードでとばすトラックとすれ違うとき、トラックが巻きあげた砂利がぶつかってフロントガラスにひびが入った。北極圏へのライフラインになっているので、通行量は意外に多いが、いくら気を付けていても避けられないことがある。

イヌビックに近づくにつれて、だんだんとダート道の状態が良くなり、やがてアスファルト舗装された道路になった。しかしデコボコが多いので、それでも運転には注意が必要だ。地面が凍ったり溶けたりを繰り返すので、アスファルトの状態も悪い。

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携帯の置き忘れがあったので、イヌビックに入ったのは夜7時頃になってしまった。アパートなどは久しぶりに見るので、やはり村に入るとホッとする。白夜なので、夜でも明るいが、それでも無人地帯を走っているので、到着が遅れると気が気でない。

イヌビックには何軒かホテルがある。観光客も来るが、どちらかというと仕事で来る人が多いようだ。予約してあったホテルに入って、通訳に連絡する。

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セスナから見たイヌビック

今回の旅では、主要な都市には通訳を用意してもらっていたのだが、まさかイヌビックに日本人通訳がいるとは思わなかった。マリさんという名だったので日本人かなと思っていのだが、もしかしたらイヌイットかもしれないと考えていた。

果たしてホテルにやってきたのは、日本人女性だった。マリさんはカナダ人の御主人との間に、三人の子供がいる主婦だった。

「最初はカルガリーに住んでいて、そこで結婚したんですけど、主人の仕事の関係でイヌビックに引っ越すことになって、3人の子供と2年前に引っ越してきたんです。それで日本人の方が来られるから通訳してもらえるかって、観光局から連絡がきたので、手伝うことになったんです」

「ああ、そうでしたか。じゃあ仕事でガイドをやっているわけではないんですね」

「そうです。普段は主婦をしています」

「しかし、同じカナダといっても、北極圏にあるイヌビックに引っ越すのは抵抗なかったですか」

「主人が幼い頃に住んでいたことがあったらしくて、とても良いところだって言っていたので、特に抵抗はなかったですね」

 もう2年ほど住んでいるが、驚くことに、マリさんはまだオーロラを見たことがないという。子育てに忙しかったからだろう。

「イヌビックには、マリさん以外に日本人は住んでいるんですか」

「以前まで何人か住んでいたようですけど、私が引っ越してきたときには皆さん出てしまわれてましたね。今は私だけだと思います」

 マリさんは到着が遅れた私のために、自宅で作った手製のお弁当を用意してくれていた。

「イヌビックではレストランも早く閉まってしまうし、スーパーも今日はお休みなのでお困りだろうと思って……。夕食の残り物なんですけど」

これは嬉しかった。特に日本食は何日ぶりだろう。明日からイヌビックを案内してもらうことにして、荷物を運んで夕食にした。

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↑マリさんのお弁当。涙が出るほど嬉しかった

数種類のおかず、それに味噌汁まで付けてくれていたのには感謝だ。ここでは日本食材が手に入らないので、段ボールにして船便で日本のご実家からまとめて送ってもらうのだという。貴重な食材なのに、これは本当に嬉しかった。

私は本来、砂糖を入れた甘い卵焼きが苦手なのだが、このときの甘い卵焼きほど、旨いと思った卵焼きはない。

翌日、マリさんと観光局からきたスタッフと共にイヌビックを回った。

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↑イヌビックの市長さん

イヌビックという町は比較的、新しい。1956年頃までは無人で、いくつかのワナ猟の猟場があるだけだったという。

近くにインディアン系のグウィチン族とイヌイットの村があったが、長年、洪水のたびに村が流されて困っていた。そこで町を建設することが決まり、広く整地できて飛行場が作れる場所ということで、ここが選ばれた。4年がかりで町をつくり、周囲の村人も移住して、1963年頃にイヌビックができたという。

その後、1980年代にデンプスターが開通し、ガスやオイルの開発で発展、90年代には北極圏ブームが起こり、多くの企業もやってきて、今のような発展した町になったという。

 水場がないので、冬は近くを流れるマッケンジー川、夏場は湖の水を浄水して使っているという。夏のマッケンジー川はにごってしまうので、夏の間だけ湖の水が使われるようになったそうだ。上下水道は完備しているが、付いていない家もまだ少なくない。発電所は新旧二つを交互に使っているが、これはどちらかが故障しても停電にならないようにという配慮だ。

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↑イヌビックのお土産物屋さん。冷凍の巨大なマスなども売っている

人口3000人ほどと小さいが、スーパーが2軒ある。品揃えはいいが、全て都市部から運んでくるので物価が高い。バンクーバーの二倍くらいはする。

新鮮な野菜が手に入りにくいので、町をあげて屋内に家庭菜園を作っている。マリさんはここで、水菜など日本の野菜を作っていると教えてくれた。私も見学したが、体育館ほどの建物を解放して区画をつくり、それぞれ契約して好きな野菜などを育てている。

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町にはメイン通りが一本あり、車で10分も走れば荒野に出てしまうくらいの狭さだ。

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通りを境にして町は大きく東西に分かれていて、東側は白人、警察、行政関係者などが住み、西側は先住民など比較的貧しい人が暮らす地域になっている。ガッシリした作りの建物は、医者や警察の幹部などが使っているという。ホワイトホースのようにホームレスなどはほとんど見ない。

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↑ほぼ毎日、イヌイット・アートの講習会が各種開かれていて、誰でも自由に参加できる

 マリさんたちが暮らす住宅街は、しっかりした造りになっていて、滞在は快適そうだ。各家はパイプラインでつながっていて、そこから暖房を流しているという。

町のシンボルはイグルー教会だ。

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これはイヌイットのイグルー(氷の塊で造ったドーム)型をした丸い屋根をもつ教会で、その独特な形は非常に目立つ。パンフレットなどにもよく使われている。中は見学もできるが、素朴な建物である。

教会の他にモスクもあり、ここは仕事で来ているイスラム系のアジア人がよく集るそうだ。アジア人では、フィリピン人なども多く住んでいる。モスクには寄付でできたフード・ストックもあり、貧しい人のために保存食などを配っているという。

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↑カナダ最北のモスク。中にはフード・ストックも作られている

問題はやはり、ここには行政関係以外の仕事がないことだ。

イヌイットとグウィチンは分かれて暮らしており、それぞれ政府からの補助も違う。グウィチンの方が政府との話し合いが遅れていて、補助金が少ないそうだ。これはグウィチンのリーダーがオイル・ブームのときに投資をして、成功したことが関係しているという。オイルブームが終わった後は、今のように静かな町に戻ったという。

「デンプスターではパンクしませんでしたか」

 そうマリさんから聞かれたので、「やっぱりパンクが多いんですか」と訊くと、「私はデンプスターを走った経験がないんですけど、主人がよくそう言ってます」と言う。まったく、パンクしないで本当に良かった。

 町の公民館に寄ってみると、ちょうどイヌイットの子供たち数人で、何かの練習をやっていた。

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↑見えにくいが、この尻尾を蹴る競技

イヌイットの伝統的な競技で、例えば上から垂らしたウサギの尻尾の毛皮をジャンプして蹴るという種目がある。そこから段々高くしていって、一番高くに上げた尻尾を蹴られた者がチャンピオンとなる。

この他にも100以上のもシンプルな競技があり、全国大会も開かれるという。その練習を週に何回か、集ってやっているのだ。この日は二人の大人がついて、飽きないようにいろいろな競技の練習をしていた。もともと狩りのときの体力を養うために始まった競技だという。

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↑これは同じ蹴る競技だが、布で足かせをつくって蹴る競技。おじさんが見本を見せてくれた

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↑力くらべも立派な競技

男の子たちは必死でジャンプしたり、いろいろな練習をしている。イヌビックは特にオーロラ以外で見どころはない町だが、やはりイヌイットたちとの交流が楽しい。

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その他に旅人が気軽に寄れるところがあるとしたら、バーしかない。

イヌビックにあるバーでは、朝から飲んでいる先住民たちがたむろしている。狩猟生活を止めた彼らには、他にやることがないのだ。

ホテルの従業員に聞くと、「あそこはクレイジーだよ。地元の人に行かないね」と苦笑いした。行こうか迷ったが、他所者が行って無用なトラブルになっても仕方ないので、大人しくホテルで原稿などの用事を済ませることにした。

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↑イヌビックにある数少ないレストランで食べたマスのエッグベネディクト。意外においしい

翌日、軽飛行機で北極海にある村、タクトヤクタック(タック)に向かった。

東海岸のプリンスエドワード島から始まったこの旅の、終着点だ。ここまで来たからには、北極海まで行ってみようと思ったのだ。

冬の間は、凍ったマッケンジー川沿いにアイスロード(氷のハイウェイ)ができるので、250キロくらいの距離を車で突っ走ってタックへ行くのが旅行者には人気だが、夏の間は飛行機が便利だ。

冬期に自転車でタックまで行ってみたいと考えたこともあったのだが、3年ほど前にカナダの少年が車の伴走付きで挑戦したときは、250キロほどの距離を行くのに2週間ほどかかってしまったという。途中で吹雪いて何度も中止になりかけたそうで、ノースウェスト準州の観光局スタッフからも「お金もかかるし、お薦めしない」と苦笑いされたこともあり、あっさりと諦めた経緯がある。

現在は、夏の間も通れる道路、マッケンジー・バレー・ロードを建設中で、これは2017年にはできる予定だ。この道路が開通したら、イヌビックもまた賑やかになるかもしれない。なにしろ北極海までドライブで行けるようになるからだ。

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↑タック側から撮ったマッケンジー・バレー・ロード。イヌビックとタックをつなぐ。今年開通予定だ

軽飛行機の運転手は、20歳の若者だったが、操縦には慣れているらしく、しっかりしているので不安はなかった。「動物を見つけたら旋回しますね」と言ってくれる。

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同乗者はドイツからきた夫婦で、英語があまり話せない。ただユーコンには何度か来ているそうで、カナダの極北好きなのだろう。ホワイトホースにルフトハンザ航空が定期便を飛ばすようになったほど、この辺りはドイツ人に人気だ。

日本でもアラスカへの直行便が有名だったが、現在は残念ながら日本人旅行者が減ったので定期便は飛んでいない。ドイツでは若者も極北に来る。一時、ユーコンにくる旅行者は、日本人とドイツ人しかいないと言われたほど多かったが、今はそれも中国人にとって代わられつつある。

飛行機が飛び立つと、すぐにツンドラ地帯が一望できるようになる。うねうねと続く数百の川が流れ、所々で沼をつくっている。その他は絨毯のようにツンドラ地帯が広がっている。森林限界を越えているので、高い樹木はほとんどない。

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↑見渡す限りの湿地帯。冬は一面真っ白に凍りつく

二時間ほどでタックに着くと、60歳くらいの地元ガイドの男が村を案内してくれた。

タックは人口1000人足らずの村で、住民の9割はイヌイットだ。かつてはホテルなどもあったが、今は民宿が数軒あるだけだ。冒険家の植村直己がしばらく滞在していたことでも知られ、彼が泊まった民宿は今もあるという。イヌビックとの道路ができたら、また新しくホテルもできるかもしれない。

タックが村として栄え始めたのは、ここに輸送キャンプができた1931年のことだ。それまでは沿岸部で狩猟生活していたイヌイットの人々しかいなかった。

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↑セスナから見たタック。北極海と湿地帯の間の中洲につくられている

当時は交易所や雑貨屋などしかなかったが、1968年にアラスカで石油が発見されると、タックにも人が押し寄せることになった。70年代には、村から90キロ離れたアトキンソン・ポイントで油田が発見され、人口も一気に増えたという。しかし80年代になって石油が掘りつくされると、行政関係以外では、昔からいた住民たちだけが住む、静かな村に戻った。

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とにかく自然が豊かだ。

地面には低潅木類、コケ類、地衣類が無数に見られる。ガイドの老人によると、夏には移動するカリブーの大群が通ることもあり、他にもムース、オオカミ、北極ギツネ、クズリ、ジャコウネズミなども珍しくなく、村から出るとジャコウウシが暮らしている。北極海ではシロイルカが群れで泳ぐのを見ることもあるという。

他に見どころといえば「ピンゴ」だろう。

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↑山のように見えるピンゴ

村からも見えるのだが、平坦な台地にポコッと出っ張った小山のようなものがある。それがピンゴだ。
 一旦は枯れた湖の下にある水分を含んだ台地が凍って膨張し、溶けたりたり凍ったりを繰り返して、小山のように膨らんだものだ。湖の下部にある水分が全て凍り、ピンゴと呼ばれるくらいになるまで1000年ほどかかっているという。

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↑セスナから見たピンゴ

 村の近くにもっとも大きなピンゴが見られるが、だいたい高さ50メートル、幅300メートルほどで、冬には登ることもできるという。村の周囲には、さらに1450ものピンゴがあるという。

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↑山のように見えるのがピンゴ。タックではあちこちにピンゴが見える

ガイドの老人は狩猟生活をしていたが、今は引退してガイドをしているという。村では今でも仕事がないため、狩猟生活が欠かせない。村を案内している間にも、ワナを仕掛ける村人たちが沢山いた。

北極海に目を向けると、流氷が押し寄せていて、なんとも荒涼とした風景だ。

昔の住居跡も残されている。半地下になっていて、屋根には木組みをして、上から土をかぶせてある。ニューファンドランドで見たバイキングの住居跡に似ている。極北で定住しようとなると、だいたい同じようなアイデアになるのだろう。

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↑上が土などで作った住居遺跡。下は比較的、最近まで使っていた木の家

驚いたことに、トランス・カナダ・トレイル(TCT)の碑がここにまであった。プリンス・エドワード島からトロントまで、私が辿ったトレイルだ。ここが最終地点ということになるのだろう。

村の少女たちがTCTの碑の辺りで遊んでいたが、驚くほど日本人とそっくりだ。

写真を撮ろうとすると、恥ずかしがって隠れてしまう。そこでカメラを下ろすと、また出てきて撮ってくれとせがむ。そのしぐさが日本人そっくりで、本当に可愛らしい。

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↑カメラを向けると、笑いながら後ろに隠れてしまうイヌイットの子供たち

お礼に彼女たちにお菓子をあげると、喜んで受け取ってくれた。

たった三時間ほどの滞在だったが、できれば一週間ほど滞在してゆっくりしたいと思った。しかし、もう時間がない。私はガイドに礼を言って、飛行場に戻った。

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<おしまいに>

今回でカナダ・ブログは最終回になります。2年もの間、このつたないブログをご愛読いただきありがとうございました。このブログが、カナダを旅するにあたって少しでも参考になれば幸いです。

また、このブログを元に大幅に書きおろした本が明日5月10日に『カナダ 歴史街道をゆく』(文藝春秋)として刊行されます。また皆さんと再会できることを楽しみにしております。

カバー案①* 4.5

つづく?

 

コメント

  • 田路 斎

    長旅お疲れ様でした。最終回にふさわしく、温かみのある内容豊かな読み物でした。お約束の食べ物の写真も。『カナダ歴史街道をゆく』はもちろん購入させていただきます。今後のご活躍をお祈りいたします。

    • 上原善広

      コメントありがとうございます。カナダデーまでに、またこの旅を振り返る更新ができればと思っています。また時々、お立ち寄りいただければ幸いです。これからも引き続き、どうかよろしくお願いいたします。

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