ウィニペグ② ルイ・リエルと、日本の在日問題

カナダ - 150年 街道をゆく

お気に入りに追加

ウィニペグ② ルイ・リエルと、日本の在日問題

ウィニペグは日本ではあまり馴染みがないが、カナダを語るうえでは重要な都市だ。

それはウィニペグが、プレーリー地帯ではもっとも古い都市だからだ。

もともと、レッド川とアシニボイン川の合流地点にできた村がルーツだ。6000年前から先住民の交易所として使われていたが、17世紀にはいるとそれに加えてイギリス系とフランス系の人々がやってきて、毛皮貿易の一大拠点となる。その跡がアッパー・フォート・ギャリ―などとして残っている。

そのため現在も町は、イギリス系とフランス系に分かれており、レッド川を挟んで東のサンボニファスがフランス系の町、西側一帯がイギリス系の町と分かれている。こうして2つの住民が分かれて暮らしている都市では、カナダ最西端でもある。

ウィニペグでもっとも有名な人物といえば、ルイ・リエルだろう。

IMG_3990

ルイ・リエルは1844年にメティスとして生まれた。

メティスとは、先住民と西洋人の間に生まれた人々のことで、先住民ともまた違った西洋的な生活をしていた。メティスとして初めて司祭になるため、モントリオール大学に入学するが、さまざまな原因から大学を中退。失意のうちに2年ほどアメリカで暮らした後、カナダに戻る。

カナダ連邦が成立した1867年頃、プレーリー三州(マニトバ、サスカチュワン、アルバータ)には、主にバファローを狩猟して暮らす先住民が2万5千人ほどいたが、メティスはフランス系だけで1万5千人ほどが暮らしていたという。

当時のカナダ連邦は、大陸を西部へと横断しての建国を急いでいた。そのためプレーリー地域の統合を急激に進めることになるのだが、先住民やメティスたちには何の相談もしなかった。

そのため1869年、25歳のルイ・リエルをリーダーに、先住民とメティスが一斉に蜂起して暫定政府を樹立する。これは「レッドリバーの反乱」と呼ばれた。

オタワ政府は当初、話し合いによる穏健策に出たが、オンタリオ州のイギリス系住民が強硬策を主張して収まらなかったため、ついにイギリス軍と協力して軍事進攻に出る。1870年にカナダ・イギリス軍がウィニペグのレッドリバーまで侵攻してくると、ルイ・リエルはアメリカに逃亡し、反乱は収束されてしまう。反乱を収めたオタワ政府は、この年に現在のマニトバ州を誕生させている。

しかし、主にイギリス系住民による先住民やメティスたちへの迫害は一向に収まらなかった。そのため先住民やメティスたちは1885年に再びルイ・リエルをリーダーに第二次蜂起を起こすことになる。四日間の戦いの後、ルイ・リエルは投降して反乱は鎮められた。

このルイ・リエルの反乱がなぜ重要かというと、時に先住民を虐殺するほど徹底的に弾圧し、戦ったアメリカに比べて、カナダではこの種の反乱がほとんどない。ルイ・リエルの反乱は、まさにカナダ史を揺るがす大事件だったのだ。

IMG_3984

フランス系のサンボニファスにある博物館では、このルイ・リエルに関する展示が充実している。隣のサスカチュワン州で第二次蜂起を戦ったルイ・リエルはレジャイナで処刑され、ここウィニペグに葬られた。博物館には絞首刑になった彼の遺品をはじめ、実際に死体が収められた棺、絞首刑のときの縄までも展示されていて生々しい。

IMG_3995

↑絞首刑のときに使われた実際の道具

IMG_3998

↑レジャイナから運ばれて来た、ルイ・リエルの遺体を実際に入れていた棺

メティスについては、その後はタブーにちかい存在になってしまったが、1960年代になってルイ・リエルの功績が見直され始め、現在はカナダ史に残る重要人物として認められている。そのため長年沈黙を守ってきたメティスも、近年は自らのアイデンティティに目覚めて活動している人も多いという。

サンボニファスは、ケベック以西では最大のフランス系住民地区である。サンボニファス大聖堂のすぐ近くに、ルイ・リエルの墓がある。もともとフランス系住民は、ルイ・リエルには同情的だった。

IMG_4028

↑サンボニファス大聖堂。火災で正面しか残っていないが、背後に再建された教会がある。現在の教会は木造建築で、以前のカトリックの大聖堂のように、人々を威圧するような創りはできるだけ避けられた建築になっているという。

IMG_4025

↑ルイ・リエルの墓。実際にここに葬られている。

またフランス系のサンボニファス大学にはルイ・リエルの銅像が置かれている。当初、この銅像は州議事堂の敷地に置かれていたが、この銅像のデザインがグロテスクだとして住民から抗議が寄せられ、現在の地に移転しておかれている。

IMG_4030

観光局が付けてくれたカナダ人ガイドのフリップが、実はフランス系で大学ではルイ・リエルで博士号をとったというので、銅像についての意見を聞いた。

「私は良いデザインだと思います。銅像を取り囲んでいる二つの壁は、自らの生まれを象徴しています。つまりフランス系と先住民ですね。その壁に囲まれて、裸のルイ・リエルは苦悩しているのです。しかし、なかなか住民の理解は得られませんでした。そこで大学なら、このような前衛的な銅像も置けるので、今はサンボニファス大学に移りました」

「ルイ・リエルは後年、精神を病んで『自分は預言者だ』と言うようになりますが、彼の精神状態についてはどう考えていますか」

「私は特に、それが問題だとは思いませんね。当時の政府からすればリエルは狂人だったろうし、どこからの視点で彼を見るかによって、変わってくるかと思います。ルイ・リエルについては、もうだいぶんカナダでも研究が進んでいますが、肝心のメティスについては難しい問題です。現在ではいったい何分の一ヨーロッパ人の血が入っているか、わからないからです」

「先住民の問題よりも繊細であると」

「そうですね。例えば先住民の場合は、国からの補助の問題もあるので『あなたは先住民だ』と認定したりできますが、メティスにはそれがありません。自分がメティスだと思えばそうだし、そうでないと思えば、そうでないのです。日本でも同じような問題があるでしょう。在日コリアンの問題などは、同じではないですか」

ここで初めてわかったのだが、日本人ガイドのKさんは、母親が韓国人だという。

「自分の場合は半分韓国人ですが、それは大人になって戸籍を見て初めて知ったんですね。母親はずっとそれを隠していましたから。だからぼくは韓国語も話せませんし、自分を韓国人だと思ったこともないけど、韓国人の血は確実に流れているんです」

フィリップはそれを聞いて「それと同じです」と言った。

「日本のコリアンもそうだし、日本のアイヌもそうでしょう。自分がコリアンなのか、アイヌなのか、日本人なのか、それを決めるのは、現代では本人なのですから」

確かに在日コリアンも、アイヌもほぼ日本人との混血が進んでいるから、日本人がメティスの問題を考えるうえでは同じような感覚だと思えばいいのかもしれない。北米ではつい先住民問題に目がいきがちだが、このメティスについても、かなり根が深い問題であると思った。

 IMG_4032

 ガイドしてくれたウィニペグ観光局のフィリップ。

 

つづく

 

コメント

  • 田原範之

    カナダにも先住民族と征服民族のさまざまな交渉があったのに、反乱事件が少なかったのはなぜでしょう。またメティスの人々もクレオールと考えていいのでしょうか。あまり見ない視点からのカナダ案内で、興味深く読みました。

    • 上原善広

      コメントありがとうございます。クレオールは広い意味では黒人問題も入ってくるので、ややこしいですが、やはりメティスの問題とはまた別になると思います。カナダで大きな反乱事件や大規模な虐殺がなかったのは、オタワ政府が先住民との間に、文書による合意書をつくることを前提に交渉を進めてきたからだとされています。ただこの文書による合意書についても、先住民側はよく納得していたわけではなく、「一時停戦の合意書」くらいに思ってサインしていたようで、「詐欺的な手法だ」と批判されることもあります。何にせよ、アメリカとカナダは隣同士のよく似た国なのに、先住民に対する手法が違っているというのは、なかなか興味深いことですよね。

  • ようこ

    メティスのことがとても興味深かったです。

    今日は選挙です。どうなってしまうのだろうと思います。

    カナダから見る日本は、どんなふうに見えるのでしょうか?

    • 上原善広

      コメントありがとうございます。CBCニュース(カナダのNHK)を見ると、「アベノミクスを推進するアベ首相支持が多数」と報じられていました。カナダでは昨年、カナダ自由党(社会自由主義、中道左派)が10年ぶりに政権をとり、ハンサムで若い党首ジャスティン・トルドーが首相になりました。このカナダ自由党は長く低迷期にあったのですが、トルドーの登場で政権復活したことは、日本でも大きなニュースになりました。トルドーは、全閣僚を男女半々にするなど、大胆な改革をしています。ちょっと話が外れますが、例えば二大政党で有名なアメリカでは「経済が安定しているときは政権交代は起きない」という定説?が知られています。どれだけ大統領選で大騒ぎしても、アメリカの経済状況を見ると、どうなるか予想できるのだそうです。こうした視点で見てみた場合、カナダ経済は全体的には堅調でした。ここ20年で物価は2、3倍に上がりました。ただカナダは産油国なのですが、政権交代があった2015年にはこれが下落していて、しかも輸出が低迷していました。もしかしたら、これがトルドー政権誕生の追い風になったのかもしれませんね。さて、そうした視点で考えると、日本はこれからどうなっていくのでしょうか。。。

コメントを残す



あったかい、冬カナダキャンペーン Close