ロッキー③ あるピッケルの物語

カナダ - 150年 街道をゆく

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ロッキー③ あるピッケルの物語

バンフからレイク・ルイーズをへて、ジャスパーに移動する。

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↑レイク・ルイーズ。これぞ「ザ・観光地」。観光地に興味のない私でも、その圧倒的な存在と美しさにはさすがに驚かされた。

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↑レイク・ルイーズ駅にある廃車になった列車を改造したレストラン。コースのみだが、高級感がある。

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↑ここではカモをチョイス。欧米に多い柑橘系のソースだ。

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↑いつまでも雄大な景色が広がる。レイク・ルイーズ~ジャスパー間(230km)のハイウェイはゴールデン・コース。ここはできればレンタカーなどで走るのがお薦め。見所も多い。自転車ツアーなどもある。

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↑バンフ~ジャスパー間には、いくつかの滝があって休憩にちょうどいい。

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↑有名なコロンビア大氷河もコース沿いにある。

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↑1935年までは、氷河はここまであった。地球温暖化などで、ずいぶん後退しているのがわかる。

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↑氷河付近は夏でも6℃ほどになり、とても寒い。しかし短パン・Tシャツ・サンダルの三点セットのツーリストもいたので驚いた。

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↑昔、子供が氷河に落ちて亡くなったこともあり、現在はツアー以外では氷河上に出られない。それを説明するボードのイラストが怖い。

バンフが高級リゾート地で、キャンモアがそのベッド・タウンだとしたら、ジャスパーはカジュアルなリゾート地だ。町を歩く人々の服装がガラッと変わる。例えば、こちらの方がバックパッカーや気軽な雰囲気の人が多い。しかし町自体が小さく、新たな建設も禁じられているので、ホテルの数は少なくて高いのが難点だ。事前予約は必須である。

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↑ジャスパー駅に展示されている当時のSL。

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↑駅に展示されている、昔のカナダ移民募集のポスター(イギリス向け)。かつてこれを見た沢山の人々が、カナダ・ナショナル鉄道に乗って、広大な原野を開拓にきた。「イッツ・マイン(あなたのもの)!」という文句は、確かに魅力的だ。

 

ジャスパーの博物館に、「アルバータ山のピッケル」を見に出かけた。

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↑ジャスパー博物館にあるアルバータ山関係のコーナー。ここだけ日本との関係が深い。

ロッキーには名峰が多い。主だったものは1900年代にはいって次々に登られていくのだが、その中でも難攻不落で知られたアルバータ山(3619m)には、1925年に槇有恒(まき・ゆうこう)ら日本隊が初登頂している。

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↑ジャスパーで撮影された日本隊。中央、帽子を持っている細い男が槇有恒。

槇有恒は1894年(明治27年)、仙台で生まれた登山家だ。日本山岳会設立者であり、初代会長として知られている。世界初のヒマラヤ、マナスル登頂を日本隊が成し遂げたときの隊長でもあり、自身もアイガー東山陵ルートを世界初登頂した経験を持っている。

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↑アイガー登頂の頃の槇有恒(中央)。

この頃(1925年・大正14)のジャスパーはまだ山間の寒村で、これから観光地として開発しようとしている頃だった。槇も「シー・エヌ鉄道はこの無人の山間に最も完備した避暑地を建立せんと努力しているのである」と記している。シー・エヌとは、当時のカナダ・ナショナル鉄道(国有)のことだ。

1925年(大正14)、槇有恒(まき・ゆうこう)ら日本隊は、10日間の奮闘の後、7月21日、午後7時半にアルバータ山の頂に立つ。日本人はもちろん、世界初のことだった。

このとき、登頂記念に登山者のリスト、細川護立(もりたて・細川元首相の祖父)から戴いていたピッケルを残して下山したのである。槇はこのときのことをこう記している。

「(世界初の頂上に立って)万歳も叫ばない。ブラボーも唱えぬ。無言のままに握手を交わしただけであるが私は落涙を禁じ得なかった。(中略)頂上には積雪があってわずか降りた所に岩石が露出している。ここに岡部(隊員)が苦心してもたらした細川候(護立)のピッケルをば岩を集めて積んでその中に立てた」

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↑アルバータ山。ロッキー山脈の中にあるので、道路沿いからは見えない。

こうしてロッキーの難所で知られたアルバータ山は、日本隊によって初登頂されたわけなのだが、このピッケルがきっかけとなり、後にドラマが始まる。

アルバータ山はその後、長く登る人もいなかったのだが、1948年にアメリカ隊が第二登を成した。そして記念にと、山頂にあったピッケルを持って帰ったのである。このときピッケルは凍り付いた岩に挟まり、強固にかたまっていて容易に抜けなかったので、アメリカ隊は下部の石突きの部分を折って持ち帰ったのである。

これだけ聞くと乱暴な感じを受けるが、当時の慣習として、山頂にあったものを自身の登頂の証として持ち帰るのは自然なことだった。

この日本隊のピッケルは、ニューヨークの山岳博物館に展示されて、その後、ジャスパーの博物館に戻されていた。

それから40年以上たった1996年8月、初登頂されたときのピッケルの石突きの部分がまだ山頂に残っていることを知った学習院大学隊は、アルバータ山に登り、山頂でこのピッケルを探すのだが、雪が深くて見つからなかった。

それもそのはずで、実はこのピッケルの残りの部分は、1965年7月に第五登した長野高校OB隊によってすでに持ち帰られていた。ただし長野高校OB隊は、このピッケルの破片はアメリカ隊のものだと思いこんで持ち帰っていたのだった。

学習院隊が下山すると、やがてその事実が判明し、石突きは長野高校から日本山岳会に戻された。そしてピッケルの上部も日本に戻され、1997年の山岳会の晩餐会の席で、見事に一致したのであった。

そして2000年、ジャスパーでアルバータ登頂70周年記念祭が開かれたとき、修復されたピッケルが博物館に寄贈されることになり、来場者から満場の拍手で迎えられることになる。

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↑伝説となったアルバータ山のピッケル。下の石突き部分が折れている。別れ別れになっていたのが一体となったのは、奇跡にちかい。

今ではこのジャスパーの博物館で、いつでもこの別れ別れになったピッケルが見られるようになったのである。

実は私は博物館という所が嫌いで、外の現場にいる方が好きなのだが、この時はさすがに違った。博物館のスタッフに話を聞いていると「日本からはテレビのゲームショウ(クイズのショー番組)まで取材に来たわよ」と笑っていた。

 

おまけ

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↑ジャスパーにあるトンキン・ホテルの「プライム・リブ・ハウス」のプライム・リブ(ローストビーフの厚切り)。ロッキーでは一番の旨さと地元の人も言うだけあり、これはうまかった。レアを注文したが、もちろん真ん中まで火は通っている。グレイビー・ソースも、カナダならではの旨さ。これだけは日本の家庭では再現が難しい。真ん中の脂身は残して、全てたいらげた(約400グラム)。左上はホース・ラディッシュ。

つづく

 

コメント

  • 室田祐輔

    美しくまた雄大なロッキーの景観とそこに宝石箱のようにあるリゾート地。ピッケルをめぐる奇跡の出会い。カナダの自然に引き寄せられた人々の物語ですね。見どころの多いカナダを旅するには、上原さんのようにじっくりと時間をかけないといけないのだと思いました。

    • 上原善広

      そうですね、日本では時間を多くとることはできないので、短い時間で一か所か二か所くらいをじっくり見るのがいいのでは?と思いました。ただ、ツアー客といえば中国人と日本人っていうイメージですが、実際にはフランス人やドイツ人も、ツアー旅行が盛んです。ヨーロッパに詳しいある人が「いわゆるフランス人っていうのはパリの人のことで、その他のフランス人はみんな田舎者だからツアー旅行も大好き」と言ってました。これからはますます、いろんな形の旅行が増えるでしょうから、そのときそのときで合った方法がいいのかもしれませんね。

  • 内宮 実

    こんにちは。写真の青い校旗はピッケルを持ち帰った長野高校のものでしょうか。私が勤務したことのある新潟県の小千谷高校の校旗とそっくりでびっくりしました。

    • 上原善広

      そうです。校旗もちゃんと展示されていました。校旗については、最初にどこかがひな形みたいなのを作って、それが派生していったのでしょうね。伝統校は似ているのかもしれません。校旗の研究というのも、どこかでつながりが出てきて、けっこう面白いかもしれませんね。

  • 長澤法隆

    ピッケルを見たくなりましたね。

    • 上原善広

      ジャスパーに来たら必見ですよ。ちょっと感動しました。

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