日本人なら一度はスティーブストン

カナダ - 150年 街道をゆく

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日本人なら一度はスティーブストン

日系人と深いかかわりがあるスティーヴストンに寄った。バンクーバーからは車で一時間もかからない。今ではきれいに整備され、週末になると地元と外国からの観光客でにぎわっている。地元の学校からの遠足組も多い。

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太平洋戦争の強制収容をとかれた日系人の中には、再びスティーブストンで漁業に戻った人も多かった。そのためここには今でも日系人の子孫が多く住んでいる。彼らはスティーヴストンのことを表記するときは昔風に「ステブストン」と書いている。

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1960年代までは、戻ってきた日系人によって漁業も盛んで、缶詰工場も操業していた。町の中心部には日本食堂があり、多くの労働者で賑わったという。やがて時代の波とともに缶詰工場も漁業も廃れていき、日系人も三世、四世となるにつれて他所へ移っていったが、日本人の名前をつけたお店は、スティーブストンには今もまだ多く残っている。

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↑今も残る缶詰工場跡。かつて日本人も多く働いていた。中は見学できる。

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↑当時の工場内。工場では女性が働き、男たちは海に出ていた。

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現在の工場内。

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↑愛らしいアジア系少女によるサーモンの缶詰試食会。

賑やかな港を離れ、海沿いを歩いて行ったところには日本漁師の碑が建てられ、その先には「ムラカミ・ハウス」と呼ばれる日系人の家が残っていて、ここは気軽に見学できる。もちろん無料だ。

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右がムラカミ・ハウス。左手奥がドック跡

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↑ドック内も見学できる。これは缶詰工場による当時の漁業再現シーン

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↑スティーブストンとムラカミ・ハウスの間にある、どことなくユーモラスな日系漁師像

この家の主、村上音吉は、日系人がやってきた初期の頃からスティーブストンで暮らした人で、漁業に従事し、その子孫たちは元気にスティーブストンや他の場所で地元の人たちと結婚して続いている。特に夫人は長生きし、最近まで庭の手入れをよくしに来ていたという。確か庭にはさまざまな種類の花が咲き乱れており、訪れた女性ツーリスト(白人)は「ワンダフル」と褒めていたが、まんざらお世辞でもないだろう。

ムラカミ・ハウスに入ってみると、中は当時の様子のまま保存されている。確かに他所にある収容所と違って広い。いわゆる「シノワズリー」を思わせる和洋混合の暮らしぶりは、今見てもなかなかハイカラだ。見学者の中には、ちょうど日系人の子孫たちもいるらしく、「ほら、あれはうちの子よ」などと展示されている写真を指さす人もいる。

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↑ベッドにほどこされた木の刺繍には、家族全員の名が付いている

またスティーヴストンには「トメキチ・ホンマ小学校」という、日本人の名が付けられている学校がある。地元の子供たちが通う小学校だ。

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↑トメキチ・ホンマ小学校。立ち寄ったときは工事中だった

本間留吉という人は、太平洋戦争前の日系人排砂運動の最中、奪われた参政権を日系人に取り戻そうと、カナダ政府と法廷闘争を繰り広げた人である。彼の提訴運動は、数々の裁判所で勝訴し、最終的には政治判断で参政権が戻ることはなかったが、その後の日系人のプライドのよりどころとなった。

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↑入口の表記。家紋まで付けられている

地元の人からすれば「トメキチ」などという古風な名前が残っていることで、とくに新移民(1960年代以降にカナダに移住してきた日本人)にとってはちょつとびっくりする名前なのだが、知性を武器に闘った本間留吉の名は、これからも学校の名として残ることになるのだろう。そう思えば「トメキチ」という言葉も何となく「カトキチ」みたいで馴染みやすい。

スティーヴストンでは、なんといってもフィッシュ&チップスが名物だ。コッド(タラ)、サーモン、ハリバット(おひょう・巨大カレイ)の3種類があるのだが、ハリバットが中でも人気だ。私も食べてみたが、どこで食べたのよりもおいしいフィッシュンチップだった。行列もすごくて、買うのに15分ほど並んだくらいだ。

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↑店には、はしけを渡って行く。たくさんあるが、このパジョズがお薦め

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↑休日は15分待ちもざらだ

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↑フィッシュは二つから選べる。ぼくはもちろん三つにしてもらった。下にポテトが大盛りで22カナダドル。2000円くらいか。

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↑ポテトが苦手な人は、ヘルシーなタコス風も注文できる

缶詰工場も今は博物館になっていて、中ではサーモンの缶詰が試食できる。私はまた港に戻って、露店で魚を売っている中国人から、甘海老とカニを買った。いずれも2000円しない。甘海老は持ちきれないほど大量だ。刺身でもいけるという。

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↑フィッシュ・マーケット。その日にとれた新鮮な魚介類を売っている。現在は中国系の人が多い

お世話になっているH氏宅では、スティーヴストンで買ったエビを刺身で食べ、カニは焼いて食べた。ものすごく新鮮でうまい。甘海老は刺身にしたが、一匹がボタン海老くらい大きい。

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スティーヴストンはバンクーバーからも近いから、今後は観光地として、もっと日本語のガイドブックにも載せるべきだろう。地元の人たちでにぎわっているが、おしゃれなレストランも多いし、日本人にゆかりのある場所だからちょっとした歴史の勉強にもなる。バンクーバーのダウンタウンもいいが、スティーヴストンは日本人こそぜひ遊びにくるべきところであると思った。

 

日系移民たちはみな、貧しい故郷を出て、一旗あげようとカナダに来た。成功した人もいたが、多くはそうではなかった。太平洋戦争が始まると「エネミー・エイリアン(敵性外国人)」と呼ばれ、財産を没収されたうえで強制収容所送りにされた。その後、成功した人も視線はつねに西(日本)を向いていた。

移民というのは、いつもそうした悲しみが伴う。異国に定住しようとしてきたのだが、心は日本に残してきているのだ。それを超えることができたのは、二世たちからだった。

一世たちは迫害などを受けて悲惨だった。そこを乗り越えた人もいるし、また志半ばで倒れた人もいる。最後に数奇な運命をたどった一世の貴重な話を収録して日系人の話を終わりたい。

――1973年の夏、国立の精神病院である日系人のお年寄りに出合いました。経歴を調べてみて、その人が32年前(戦前・1941)に病院に入れられていた事が分かりました。日系人であることを証明する登録証を持っていなかったばかりに、逮捕され、病院に収容されたという事でした。定期的に病院を訪問して、私はこの老人に話そうと試みましたが、「日本語で話しちゃいけない。周りで監視しているんだよ」と言うのです。英語を話そうとしましたが、老人は英語が話せませんでした。この老人は、自分が何者であるかが完全にわからなくなっていて、私はどうしても意を通じさせることができませんでした。1976年のある訪問日のこと、その老人が食を止ち、死亡したと知らされました。

ある晩、その老人が私の夢の中に現れてこちらをじっと見つめました。その瞬間、私は或る思いに打たれました。そして老人に言いました。「この長い年月、私にいってほしかったのは、おじさんには何の罪もないという事だったんですね」――坂田道子(『日系カナダ人百年史 千金の夢』より)――

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 つづく

 

コメント

  • 益子 博

     二度目のコメントになります。
     フィッシュ&チップス美味しそう! なるほど日本人なら一度は行ってみたいものですね。
    食べ物の写真どんどんアップしてほしいです(笑)
    充実の旅となりますよう。そして帰国後のご活躍もお祈りいたします。

    • 上原善広

      コメントありがとうございます。食べ物の写真ですね、できるだけ努力します(^^)

  • 伊勢田治子

    こんにちは。貴重な日系人のお話、おいしそうなフィッシュアンドチップスの写真をありがとうございました。今世界は難民であふれていますね。政治的な理由で故郷を離れた現在の難民たちと進んで海外を目指した昔の日系人とは違うのかもしれませんが、差別や経済的な問題は共通するのではないでしょうか。少し見方を変えて相手の立場に立つだけで分かることが、自分の身をを守る気持ちにかき消されて見えなくなることは悲しいですね。

    • 上原善広

      仰るとおりですね。この歴史があってこその、現在のカナダですからね。大国はどこも過去に戦争や悪いことをしているものですが、過去の反省をいかに現在に活かすのかが肝要だと思います。日本とカナダはいろいろな面で真逆の国ですが、カナダを通して日本が見えるということもあると思います。そうしたこともまた時々書いていきたいです。

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