ユーコンでの再会

カナダ - 150年 街道をゆく

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ユーコンでの再会

<お知らせ>来月5月10日に、このブログを大幅に書き足した本『カナダ 歴史街道をゆく』(文藝春秋)が刊行されます。時間軸などはこのブログのままですが、ほぼ書き下ろしになっています。それまでにブログのアップを終える予定ですので、ブログ更新を頻繁に進めて行く予定です。2年越しのカナダの旅もそろそろ終盤にはいりました。本はもちろん、このブログもまたチェックしてみてくださいね。

 

ユーコンに入って初めての町ワトソンレイクは、サイン・フォレストで有名だ。

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もともとはアラスカ・ハイウェイ建設時に、作業員の一人が自分の故郷までの距離を書きこんだサインボードを立てたのが始まりで、今では旅行者がそれぞれボードに書き込んで記念にしている。

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私も20年前に作って板に打ち付けておいたのだが、着いてみるとサインボードが増えすぎていて、自分のサインがどこにあるか全くわからなくなっていた。年間2000枚ほど増えていくそうなので、まさに「サインの森」のようになっていて見つけるのは不可能だ。

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ここの観光案内所のスタッフのダイアナには、世話になった。初めて訪ねたとき、私が誕生日だという話をしたら、翌日、案内所にケーキを持ってきてスタッフ全員で祝ってくれたのだ。アラスカから歩いてきたのでそのようにしてくれたのだが、このときほど嬉しい誕生日はかつてなかった。

そこでダイアナはまだ元気かとスタッフに訊ねると、「末期癌で都市部の病院に転院して、面会もできなくなってしまっている」と言われたのはショックだった。

どうもこの北上の旅は失敗だったのではないかと私は落胆した。以前の旅で知り合った人は皆無で、わかっても病気で会えない。もう少し早く来るべきだったと思ったが、カナダ北部の辺境地帯は、なかなか再訪できるようなところではない。

意気消沈しながら、次のユーコン州テズリンに向かった。ここには一晩キャビンでお世話になった、先住民のビートがいる。彼なら移動していることはないだろうと、最後のつもりで訪れた。

テズリンは先住民が多く住む町だ。ユーコンには大きく分けて八つの先住民グループがあるが、テズリンはトリンギットという部族が多く住んでいる。

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テスリン川に架かる橋を渡るとテスリンの村に入る。

テズリン川が大きく膨らんで湖のようになっている豊かな地なので、カヤックやカヌーで有名だ。モーテルが二軒あり、とりあえずそのうちの一軒にチェックインし、彼と最初に出会ったレストランへ向かった。

二〇年前、私がここにたどり着いたとき、疲れ果ててレストランの前で座っていると、ちょうどコインランドリーに洗濯に来ていたトリンギット族のビートに話しかけられ、うちのキャビンに泊まれよと親切にされたのだ。

住所交換はしていたが、ここは広大な地域に家々がバラバラに広がっているため、郵便は主に私書箱になっていて、正確な住所はあってないようなものだ。そこで地元のレストランに入り、ここに長く住んでいそうなスタッフに声をかけた。

「ここで先住民のビート・グッドウィンという人を探しているのですが」

「ビート? どんな人?」

「体が大きくて、独り者で、サングラスをかけています。歳はいま六〇代くらいかな」

「ああ、それはバート・グッドウィンのことじゃないかしら。ちょっと調べてあげるわね」

私はずっとビートだと思っていたのだが、それは当時の私の耳が悪かっただけで、本当はバートという名だそうだ。

スタッフの女性が電話帳を出してきて調べてくれたら、バート・グッドウィンの名があった。しかし、自宅に電話をしても外出しているのかして出ない。さらにスタッフの知り合いがバートの携帯電話を知っていたのでかけてみると、バートが本人が出た。

「二〇年前に泊めてもらった、日本からきたヨシです。覚えていますか?」

「おお、もちろん覚えているよ!」

「良かった。元気してましたか」

「元気だよ。今はテズリンにいるのか」

「そうです。今日はここで泊まって、これからホワイトホースに向かおうと思っているところです」

「じゃあ、今からそのレストランに行くよ」

 バンクーバーから北上しながらずっと知り合いを再訪してきて、一人も会えずにきたので、これは嬉しかった。

 レストランで再会すると、さすがに二〇年という月日は長く、バートは立派なおじいさんになっていた。髪も白髪になっている。当時はいつもダンディなスモークがかったメガネをかけていたが、今は普通のメガネになっている。その他はあまり変わらないから、すぐにわかった。

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20年振りの再会となった、テスリンの先住民のバートと

「ヨシはあれからどうしてた。徒歩でどこまで行ったんだ」

「あれからメキシコまで歩いて、それから日本に帰ったんだよ。今はライターをなんとかやってるよ」

「そうか。まったく大した奴だよ」

 しかし、私も歳をとった。私たち二人が出会ったときバートは43歳で、私はまだ23歳だった。彼は先住民にしては珍しく、煙草も酒もやらない。私たちが出会ったとき、バートは離婚したばかりで娘と離れて一人でキャビンで暮らしていた。ちょうど酒を止めたと言っていたから、離婚を期に酒を断ったのかもしれない。

 バートは昔から寡黙だ。私も英語が得意でない。しかしただ二人で静かに座っているだけで、この20年の月日が埋められていくような気がした。

「これからどこまで行くんだ」

「今回はイヌビックまで行こうと思ってる」

「そうか。テズリンをいつ発つんだ」

「もう明日にはホワイトホースに向かうつもりだ」

「時間がないのか?」

「いや、そういうわけでもないけど」

「ついこの間のニュースでやってたんだが、イヌビックに行くデンプスター・ハイウェイはいま閉鎖しているぞ」

「え、どうして」

「記録的な大雨で、道路があちこち寸断されているんだ。ネットで調べられるからチェックしておいた方がいい」

 デンプスター・ハイウェイというのは、ドーソンというカナダ最後の町から北極圏に向けてのびているハイウェイのことで、全長774キロにわたる壮大なダート道のことだ。途中に町はほとんどない。

「こういうのはよくあるの?」

「いや、ここまで大規模なのは珍しい。しかし、早くても復旧には一週間くらいかかるだろう」

「参ったな。ホワイトホースで待機するしかないか」

「今夜はホワイトホース近くのフィッシュ・キャンプでお祭りがあるから、それを一緒に見に行こう」

「フィッシュ・キャンプって?」

「行けばわかるよ」

 がっしり握手して一旦別れた。彼の家は、ここから50キロほど北にあるジョンソンズ・クロッシングの近くにあるのだが、今はさらに森の奥地にキャビンをもう一軒かまえているらしい。

 夕食を買って行こうということになり、ハイウェイを外れてダート道をしばらく行くと、手書きの看板が出てきた。

「へレンズ・フィッシュ・キャンプ ハンドゲームズ・チャンピオンシップ」

 フィッシュ・キャンプとは、先住民たちが夏の間に泊まり込みで魚をとる場所のことだ。しかしここでは、その場所をつかってお祭りをしているようだ。

 着いてみると、沢山の先住民たちが集まっていた。テントを張って宿泊組もいるらしい。彼らは生まれたときからキャンプしているから、野外の生活が全く苦にならない。

 ユーコン特有の蚊の大群がいないなと思い、バートに訊ねると「蚊のシーズンはもう終わったよ。六月とか早い時期に多いだけで、今のシーズンは小バエがいるくらいだな」と言う。

 ハンドゲームは、簡単にいえば手の中に入れたコインや棒切れなどが、どちらの手に入っているか当てるゲームだ。七人くらいで一チームを組み、それぞれ向かい合って正座して座り、交互に当てていく。

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コインを持っている側は、それを悟られないよう変な顔をしたり、座ったまま踊ったりして誤魔化すのだ。その間に周囲は太鼓や歌をうたって囃子をして盛り上げるので、単純なわりに賑やかで、見ているだけで楽しい。子供や青年の参加者が多く、年寄りは見学している人が多い。

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これは子供たちがやっているが、大人ももちろん遊ぶ。リーダー役が一人つく

 チャンピオンシップというだけあって、トーナメント制になっていて、優勝者にはそれなりの賞金が出るらしい。だからみな大真面目でゲームを楽しんでいる。

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 写真でしか見たことのない、バートの娘さんに紹介してもらう。当時はまだ赤ちゃんだったが、今年には大学を卒業するそうで、バートは嬉しそうだった。以前から酒などで身を持ち崩した先住民をホワイトホースで多く見ていただけに、みな健全にこうして遊んでいるのを見るのは楽しい。この季節は白夜にちかいので、ゲームは午前〇時ちかくまで行われるそうだ。

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 バートの親戚たちと

 

オマケ

アラスカ・ハイウェイ沿いには50~100キロごとにロッジがあって食事も取れるのだが、そのうちの一軒のロッジで食べたドーナツののったバーガー。甘辛地獄の好きな人にはお薦めだが、日本人ではなかなかおいしく食べられないかも。私はもちろん、美味しくいただいた。

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つづく

コメント

  • 時任 均

    こんにちは。カナダ先住民の旧知の方との再会の場面、いいお写真ですね。急に訪ねて行って会えたのは、本当にご縁があったからでしょうね。

    • 上原善広

      コメントありがとうございます。結局、再会できたのは彼だけでしたが、最高の再会となりました。僻地の先住民はあまり引っ越さないからでしょうねー。

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