ホワイトホース~ドーソンシティをゆく

カナダ - 150年 街道をゆく

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ホワイトホース~ドーソンシティをゆく

<お知らせ>

5月25日、午後7時30分より、東京の西荻窪にある旅の書店「のまど」さんで新刊『カナダ 歴史街道をゆく』のトークイベントに出ます。本書では未公開の写真を見ながらの楽しいトークです。終了後はサイン会もしますので、ご都合つく方はぜひご参加ください! 詳細はこちらをご参照ください→
http://www.nomad-books.co.jp/event/event.htm

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 ホワイトホースに入ると、久しぶりに都会に来たなという感じがした。日本食レストランが増えたが、どれも日本人オーナーではない。20年前は個人商店が多かったが、今はチェーン店などが多く進出しているように感じた。

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ホワイトホースの町。近くをユーコン川が流れる。IMG_5083

ユーコンは大河だが、時には狭くなっているところもある

日本人女性ガイドのYさんと、ユーコン川を一日だけカヌーで案内してもらうことになった。サケの遡上が見られる施設にも案内してもらったが、ちょうど数十匹のサケが遡上しているところだったので、これは壮観だった。Yさんは楽しそうに言った。

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季節によっては鮭の遡上も見られる

「日本のテレビ番組でユーコンの川下りを見て、それから好きになって住むことにしたんです」

 この二〇年の間に、ユーコンでは日本人のカヌー・ブームがおき、毎年のように日本人が来るようになった。しかしそのブームも最近は落ち着いてしまい、今は中国人客が多くなった。

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ユーコン川は手ぶらで行っても半日~数日の川下りができる。料金も半日だと数千円くらいだ

「でも、今でも一年に一人くらいは、イカダで北極海を目指したりする冒険派の人もきますよ。そろそろオーロラも見えるから、これからはツアーの方が多くなりますね」

「ホワイトホースでもオーロラは見えるんですか」

「見えますよ。こっちのオーロラは単色なのが多いけどね」

 夏の間もオーロラは出ているのだが、日が長いので見えないだけだという。八月下旬になると真っ暗になる時間帯が増えてくるので、オーロラを見るチャンスも出てくるのだそうだ。八月下旬だと深夜〇時から二時頃まで暗くなり、オーロラの見頃になるのだそうだ。

Yさんはユーコンに住むため、最初は町のキャンプ場で暮らしながら職を探したという。やはりユーコンに住む人は、バイタリティがあって面白い人が多い。

 川下りは、7人くらいの高齢者グループと一緒になった。どこから来たのか訊くと、地元の人たちで、たまにみんなで川下りを楽しむのだという。

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 白頭ワシが飛んでいて、のどかな風景だ。

私はカヤックの経験しかなく、カヌーは初めてだったのだが、カヤックに比べて船内が広いので、意外に乗り心地が良い。カヤックに比べて操縦性は劣るが、長旅だったら荷物を満載できるカヌーの方が楽なのだろう。

 乗ってきたレンタカーはここで一旦返却して、長期のダート道用に四駆のトラックを借りた。これで北極圏を目指すのだ。

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ユーコンの夏は短い。いたるところで道路工事を毎年やっている

 ホワイトホースを出てからは、アラスカ・ハイウェイではなくクロンダイク・ハイウェイを北上する。カーマックスなどの小さな町をへて、ドーソンに至るハイウェイだ。

20年前の徒歩旅行のときはアラスカ・ハイウェイを選んだが、それはクロンダイク・ハイウェイの方が途中に店が少なく、食糧に心配があったからだ。車だと一日でドーソンに着くことができるので、そこまでの心配はいらない。

 途中、ムース・クリークというレストランが一軒だけあるところに日本人妻が住んでいると聞いて寄ってみたのだが、あいにく留守だった。他にもこの年はアラスカ・ハイウェイ方面にあるビーバー・クリークでも、夏の間だけだが日本人の若者がバイトしているという。ユーコンは日本人を含め多くの人を惹きつけるが、厳しい北の地なので入れ替わりが激しい。

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日本人妻もいるムース・クリークのロッジ。食事や宿泊もできる。周囲50キロは人がいないのだが、バーガーはなかなか旨い

ドーソン・シティは、アラスカへの出入り口にあたる。

まるで西部劇を思わせるような開拓時代そのままの町並みが保存されていて、遠くに来たなと感慨深くなる。もとは売春宿だった店も、きれいなホテルに改築されている。

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ドーソンシティ。流れるのはもちろんユーコン川

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対岸から見たドーソン。ユーコン川に他の川が合流しているので、川の色が2色に分かれているのがわかる

人口は2000人ほどで、冬にはさらに減るようだ。1896年に起こったゴールドラッシュの頃は、この辺りでは一番大きな町になり州都にまで発展したが、ゴールドラッシュは数年で終り、やがて州都もホワイトホースに移された。現在は金の採掘と、観光で成り立っている。

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現在のドーソンの町と、最盛期のドーソン。人が少なくなり、車が多くなったくらいで、町並みはあまり変わっていない

初日は、観光局で案内してもらったオーロラ・インというホテルに入った。居間には簡易キッチンもあり、飲料水やコーヒー、紅茶も飲み放題だ。クラシックな佇まいのわりに設備がしっかりしている。ただし夏のドーソンは、まともなホテルの予約がとりにくいので、早めの予約をしなければならない。

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3軒のホテルに泊まったが、これはエルドラド・ホテル

町の端を流れているユーコン川の対岸には、日本人語の案内もあるホステルやバンガローがある。試しに泊まってみたかったが、町に戻るのに無料だがカー・フェリーを一々使わなくてはならず、不便なので断念した。川沿いにあってそのまま接岸できるので、ホワイトホースからカヌーで来た人はたいてい、ここに泊まるのだという。

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元ホテルで今は廃屋。右上の窓に「飾り窓の女」が見える。娼館だったようだ

無料のウォーク・ガイドツアーもあり、西部劇そのままの町並みが保存されているので、歩いているだけでも十分楽しい。日中には作家のジャック・ロンドンや、詩人ロバート・サービスが暮らした家の前で詩の朗読会なども開かれている。

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ジャック・ロンドンは22歳のときにドーソンへ渡り、1年間、砂金堀に従事した。そのとき暮らした小屋が1965年になってドーソンから160キロ離れたヘンダ―ソン・クリークで発見され、ドーソンに移転され保存されている。

彼の代表作『荒野の呼び声』は、カリフォルニアの裕福な家から盗み出されたバックという犬が橇犬にされ、アラスカの港からドーソンまで何度も橇を引いて逞しく育ち、やがて野性に帰るという物語だ。邦訳もされていて、ゴールドラッシュが生みだした最高の文学作品とされている。

ユーコンの代表作家として知られているロバ―ト・サービスは、ゴールドラッシュが終わった1908年から4年間、ここドーソンで銀行員として暮らした。そのときの体験を元に書いた詩集は、現在もユーコンを訪ねる人にとってバイブルのような存在になっている。「ユーコンの掟」(野田知佑訳)という詩の一節は特に有名だ。

単純で明快な掟だ

愚かしき者 弱き者を寄越すな

強き者 頭のしっかりした者を送れ

戦いの憤怒に堪えうる者

戦いの準備ができている者を わが許に送れ

鉄の意志を持ち

勝ち誇った豹のごとく敏捷で

負けた熊のごとく獰猛な男たちを送れ

勇猛な親たちから生まれ きびしい試練で

はがねのように強靭になった男たちを

あなた方の最良の者を わが許に送れ

ホワイトホースで原版を買っておいたが、二人ともユーコンを舞台にした作品で知られる作家だ。

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詩人ロバート・サービスとその小屋

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案内してくれたガイドさんの自宅。なかなかお洒落だ

町で特に知られている名物は、カジノで毎晩やっているカンカン踊りと、男の親指が入ったカクテルの一気飲みだ。

昔、凍傷で切断したある男の親指が持ち込まれ、そのまま塩漬けだかアルコール保存だかにされて、ホテルのバーが冗談半分で「サワー・トゥー」と名付けて客に出し始めた。ドーソンはゴールドラッシュのときにできた町なので、こうした開拓時代の荒っぽい習慣が好まれる。

一気飲みするときにその親指にキスをしなければならないルールがあり、慌てた人の中には、そのまま呑み込んでしまう人がいるらしい。呑みこんだ場合は罰金で、昔は2、3万円で済んだが、今は21万円に高騰している。今の親指は10代目だそうで、どういう方法で手に入れているのかわからないが、ストックもあるのでしばらくは大丈夫だという。

レストランでは、町に最近できたギリシャ料理店が評判だが、ドーソンにきた日本のマスコミ関係者で有名な「ゴールド・ビレッジ」という中華料理屋に出かけた。日本人でドーソンに来た人は、たいていここに寄る。ドーソン唯一のアジア料理店だからだ。

ここの中国人の女将さんは驚くほど無愛想だが、支払いのときだけ機嫌が良くなると日本人の間で評判だ。そんな店には行きたくないのが本音だが、ここまで僻地になると中国料理があるだけで助かる。行ってみると、確かに50代くらいのおばさんがいるが、この日は機嫌が良いのか、そこまで無愛想ではなかった。

料理は特別なものはなく、地元のスーパーで買えるためか、やたらとざく切りにしたセロリが入っていた。野菜炒めと炒飯を頼んだが、食べきれずに残してしまったので、持ち帰りにしてもらう。極北の地で食べる中華はしかし、旨かった。

ドーソンに着いてからも、北極圏の町イヌビックへつづくデンプスター・ハイウェイはまだ閉鎖中だった。

ドーソンには、今回の旅の終着地点イヌビックがあるノース・ウェスト準州の観光局が出張所を出していて、ここで情報収集ができる。老婆が一人でやっていたので話を聞くと、どうも道路自体の復旧は終わっているのだが、フェリーで渡るところが二か所あり、そこの橋げたが流されていて、その復旧に時間がかかっているという。

カナダの中でもユーコンは万事、ゆったりと時間が流れているので復旧にはもっと時間がかかるかもしれないと思った。しかしデンプスターはイヌビックとのライフラインを兼ねた道路だし、ここぞというときのカナダ人の集中力は凄いことを知っているので、それに期待して待つしかない。

ドーソンでは今でも金の採掘をやっており、郊外にあるボナンザ・クリークでは昔の工場なども無料で見学できる。大量の土砂を吸い上げて、砂金だけをより分けていく昔の巨大な機械だ。付近では今でも採掘をしているので、あちこちが掘り返されて、荒地のようになっている。

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↑ボナンザ・クリークに残されている砂金採りの機械。これはもう使われていないが、周辺では今も砂金を採っている

ここまで辺境になるとティムホートンズはもちろん、ファーストフードのチェーン店などもさすがにないが、スーパーが2軒あり、僻地なので多少高いが、生鮮食料品なども手に入る。

日本人はあまり縁のないと思われがちなドーソンだが、墓地にはゴールドラッシュのときにやってきた日本人たちの墓も保存されている。

中でも立派な墓板には、風化した字で「浅海音吉」と彫られていた。広島県の出身らしく、明治時代にドーソンで亡くなったとある。ゴールドラッシュのときにドーソンに到着したものの、間もなく亡くなってしまったのだろう。現在、日本人の子孫はドーソンにはいない。

ゴールド・ラッシュのときにドーソンへやってきた日本人の墓はいくつか残されているが、風化が激しいので、確認できるのは2、3くらいしかない。墓の名簿を見せてもらうと、十数人の日本人の名が記されており、中には子供も多かった。最盛期には40人ほどの日本人がやってきたと言われている。

浅海音吉の墓からは、今でも金の採掘がおこなわれているボナンザ・クリークが見渡せた。

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つづく

 

 

コメント

  • 和多田慧子

    こんにちは。久しぶりの投稿です。私はどうも、海外に移住して苦労した日本人の話が好きみたいです。墓碑銘の「浅海音吉」の文字が装飾的で、いっそう哀愁を感じました。カナダの旅もそろそろ終盤ですね。北極海に面した街に到達して、どんな感慨をいだかれたのか興味津々です。

    • 上原善広

      コメントありがとうございます。海外に移住した日本人の苦労した話は、ぼくも身につまされるのかよく読みます。この木板のお墓も、極寒の地なのであと10~20年もすれば朽ちてしまうのでしょうね。この地を訪れた日本人が、お参りしてくれることを期待して掲載しました。2年間続けたこのブログの最終回まであと少しですので、どうかご期待ください。

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