06. 砂利の滑走路

マニトバ ― Heart of Canada06. 砂利の滑走路

お気に入りに追加
06. 砂利の滑走路-イメージ1

きょうはいよいよウィニペグを離れ、今回の旅のメインイベントである「ヨーク・ファクトリー」へと向かう。

ヨーク・ファクトリーとは何か、については順を追って説明していくけれど、まずはホテルの朝食からスタートしたい。こういうエッグベネディクトなんかを朝から食べていると、ああ、またカナダに来たんだなあ、としみじみ感じさせられる。

ちなみにウィニペグでは朝の散歩の際に、こんなふうに普通にリスがチョロチョロ走っているのを見かけた。

06. 砂利の滑走路-イメージ2

たいがいの日本人は僕のように思わずカメラを向けてしまうけれど、こちらでのリスは、栽培しているベリーなどを食べてしまうので、ちょっと厄介者という位置付けらしい。

さて、ヨーク・ファクトリーを訪れると言っても、ことはそう簡単ではない。なにしろウィニペグのずっと北のハドソン湾の近く、飛行機が着陸できる滑走路もなければ道路すらないという、言わば秘境の地にヨーク・ファクトリーはあるのだ。

06. 砂利の滑走路-イメージ3

とは言っても、毛皮交易の時代はカヌーで川を行き来していたのだから、当時は“秘境”ではなかったのかもしれない。滑走路や鉄道や道路がないと“秘境”になってしまうのは現代だからこそ、なのだろう。

そこでまずは飛行機でちょっと手前のGillam(ギラム)という街まで飛び、そこからはジェットボートでネルソン川を下り、いったんハドソン湾に出てから今度はヘイズ川を遡る、という行程をとる。と言ってもなんだか分からないと思うけれど。

とにかく、まずはギラムに着くまでの空の旅の間、ヨーク・ファクトリーについて説明しておこうと思う。小さなプロペラ機からは、どこまでもどこまでも続く平らなプレーリーが見える。真四角に区切られているのは小麦やキャノーラの畑なのだろう。

06. 砂利の滑走路-イメージ4

まずはこの写真。現在、ヨーク・ファクトリーに残されている建物だ。ここはかつて、イギリス国王の勅許を受けた毛皮交易会社「ハドソン湾会社」が拠点としていた施設なのだ。

もちろん今は毛皮交易は行われていないし、人が常駐しているわけでもない。この白い立派な木造の建物や墓地などがあって、パークス・カナダという政府機関が一帯を管理している。

06. 砂利の滑走路-イメージ5

そしてこの地図を見てほしい。地図の一番下、縦に2つ並んだ白丸の下の方がアッパー・フォート・ゲリーという砦で、ウィニペグにおける毛皮交易の拠点だった。

06. 砂利の滑走路-イメージ6

ウィニペグのど真ん中、VIA鉄道駅のすぐ目の前にあって、今は石の門が残っているだけだけれど、ルイ・リエルが最初に蜂起してメイティの権利を認めさせた時に占拠したのがこの砦、アッパー・フォート・ゲリーだった。

ここから地図を上にたどっていくと、ウィニペグ湖の上にノルウェイ・ハウスという拠点がある。そしてその右上、ハドソン湾のすぐ近くにあるのがヨーク・ファクトリーだ。

06. 砂利の滑走路-イメージ7

ヨーク・ファクトリーにはイギリスから帆船で交易品である毛布や銃、雑貨などが運び込まれ、これらはさらにノルウェイ・ハウスへと輸送された。

ちなみに毛皮と交換する交易品として生み出され、今もカナダのデパート「ハドソン・ベイ」で売られている毛布がこの「ポイント・プランケット」だ。黒い線の「ポイント」が、この毛布を入手するのに必要なビーバーの毛皮の数を示している。

06. 砂利の滑走路-イメージ8

一方でアッパー・フォート・ゲリー、つまりレッド川周辺からはメイティたちがつくった長旅用の食料「ペミカン」が、やはりノルウェイ・ハウスに運び込まれていた。

ノルウェイ・ハウスで交易品とペミカンを満載した船は北西へと進み、各地から集められたビーバーの毛皮を満載して再びヨーク・ファクトリーへと戻ってくる。最後はハドソン湾から大西洋を経て、毛皮は本国・イギリスへ、というわけだ。

06. 砂利の滑走路-イメージ9

窓の外にあったはずのプレーリーはいつのまにか消え失せ、極北らしい湖沼地帯が広がっている。そしてプロペラ機が着陸していくと、なんとギラム空港の滑走路は舗装されておらず、砂利が敷かれていた。

ウィニペグでの朝食のエッグベネディクトなんて、どこかに吹き飛んでしまった。ギラムの砂利の滑走路。ここからヨーク・ファクトリーに出会う秘境の旅が始まるのだ。

コメントを残す



あったかい、冬カナダキャンペーン Close