マニトバ ― Heart of Canada

07. カヌーとヨーク・ボート

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飛行機がGillam(ギラム)の空港に着陸した。もちろん、降りたあとはロビーまで自分の足で砂利の滑走路を歩かなければならない。

そして空港ロビー内で展示を見ているうちに、ギラムという街がどんなところかが分かってきた。

毛皮交易が始まった頃、このあたりの先住民たちもビーバーを捕らえてイギリス人のもとに毛皮を持ち込む、ということをしていたようだ。

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「持ち込む」というのは、ハドソン湾会社が生み出した「ファクトリー・システム」に基づいている。フランス人が自ら先住民を訪ねて毛皮を入手したのに対し、イギリスのハドソン湾会社は各地に拠点を設け、先住民が毛皮を持ち込む仕組みを導入した。だからその一大拠点の名前が「ヨーク・ファクトリー」なのだ。

名前と言えば、Gillam(ギラム)とは1668年、イギリスから初めてハドソン湾に到達して毛皮を持ち帰り、ハドソン湾会社設立のきっかけをつくった帆船「ノンサッチ号」の船長の名に由来している。

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そんなギラムはずっと時代が下ると、ホッキョクグマ観光で知られるチャーチルへと続く鉄道の分岐点の役割を担うようになり、1960年代後半以降はネルソン川に水力発電施設がたくさんつくられたことから「Manitoba’s Power Capital」ということになったようだ。

もうすっかり慣れたけれど、どうもカナダではいろんな都市や街が大仰に「Capital」を名乗る傾向がある。

それはさておき、僕がギラムで宿泊した「オーロラ・ガーデンズ」は美しい名前とは裏腹に、丸太小屋のロビーと、その隣にプレハブみたいな宿泊棟があるだけだった。ふだんは観光客というより、水力発電の仕事で来た人たちが宿泊しているんじゃないだろうか。

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そして翌朝。その「オーロラ・ガーデンズ」に迎えに来てくれた車に乗り込み、ジェット・ボートの出発点へと向かう。それにしてもだ、ここは虫が多くてやたらと大きい。車のまわりをブンブン飛んでいる。

ウィニペグにも日本では見かけないほどの大きな蚊がいっぱいいたけれど、ギラムはハエだかアブだか、とにかくやたらと大きい。日本のハエの倍ぐらいはありそうだ。

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こんなふうに写真はたくさん撮ったけれど、読者の皆さんが不快になるかもしれないので、ここでの掲載は1枚だけにしておきたい。

車が動き出したものの、その周囲には引き続き巨大なハエがブンブンとまとわりついている。車に負けないほどの早さで飛べるということだろうか。

そのうちにハエたちも諦めたのか姿を消し、車は水力発電の施設に到着した。どうやらここが、ジェット・ボートの出発点のようだ。

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ボートはどこにあるのだろうと思っていると、向こうから巨大なトラックに引かれてボートが現れた。トラックは川へと続く坂道をバックで下りながら水際へとボートを近づけていき、器用に水面に浮かべてみせた。

これからジェット・ボートに乗って約3時間半、ネルソン川を下っていく。「下る」とはつまり、ハドソン湾へと北上して行くということだ。

湾内に出た後は方向転換し、今度はヘイ川を南下していく。そしてヨーク・ファクトリーに滞在できる時間は、その日の潮の満ち引き次第だと聞かされた。

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さて、ビーバーの毛皮交易は長い間、白樺の樹皮でできたバーチ・バーク・カヌーを移動と輸送に用いてきた。しかしハドソン湾会社はさらにたくさんの荷物を一度に運べるように、巨大な木造の「ヨーク・ボート」を導入するようになる。

ヨーク・ボートは白樺のカヌーに比べ、同じ漕ぎ手の数で2倍の荷物が運べたという。その代償として、船体はとてつもなく重くなった。

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これまで樹皮でできた軽いカヌーを前提に、川が途切れた時にカヌーをかついで移動する「ポーテージ」が行われていたけれど、漕ぎ手たちにはヨーク・ボートになっても「ポーテージ」が要求された。だからヨーク・ボートでの仕事で体を壊す人も多かったと聞く。

ヨーロッパ人がこの大陸にやってきて以来続いていた、睡蓮の花が浮かぶ川面を白樺のカヌーで行く牧歌的な毛皮交易は、いつのまにか消え去ってしまったようだ。

ルイ・リエルらメイティたちが最後には「蜂起」という道を選んだのも、効率を追い求める中で「生きにくさ」が蔓延し始めたことと無縁ではないのだろう。

文・写真:平間俊行

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