マニトバ ― Heart of Canada

08. 2つの会社と2人のメイティ

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僕を乗せたジェット・ボートは大量の水しぶきを上げながら、もの凄い勢いでネルソン川を北上していく。ボートが軽くジャンプして着水する時には、車の事故のような「ガツン」というにぶい音が響き渡る。

ただし、このペースで進んだとしてもヨーク・ファクトリーまでは3時間以上かかる。しかもそれは、ウィニペグから飛行機でギラムまで来た後でさらに要する時間なのだ。

ヨーク・ボートの時代、ウィニペグとヨーク・ファクトリーの間の移動にはどのぐらいの日数がかかったのだろうか。

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この地図に記された赤の矢印が、当時の毛皮の動きだ。ヨーク・ボートでかき集められた毛皮は太い矢印となり、ヨーク・ファクトリーで帆船に積み替えられたあと、ハドソン湾を出て大西洋を渡り、本国イギリスへと運ばれていく。

1812年、このルートを逆にたどり、本国からウィニペグにやって来た。1人のスコットランド人がいた。アーチボルト・マクドナルドという23歳の青年だ。

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なぜ急にそんな話をするかというと、実はこのアーチボルトが、ペリー来航の5年前、自らの意思で単身日本に密入国し、「日本最初の英語教師」と呼ばれることになるラナルド・マクドナルドの父親だからだ。

マニトバ州北部の大地は川の侵食を受けやすい地質なのだろう、両岸の崖が徐々に崩れ落ち、木々も順番に水中に没しているようだ。200年以上も前、ウィニペグに向かうアーチボルトもヨーク・ボートの船上から、こんな光景を目にしたのだろうと思う。

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彼はこの時、羊の牧畜のため農地を奪われ、困窮していたスコットランド人たちといっしょにいた。アーチボルトは、あのセルカーク伯がスコットランド人救済のために築いた「レッドリバー植民地」への第2次入植者を引き連れてきた「ハドソン湾会社」の幹部社員だった。

川の水は崩れ落ちた土を含んだ色をしていて、でも7月のマニトバの空は対照的にさわやかな青い色をしていた。アーチボルトも入植者たちも僕と同じように、川の上を行くたくさんの鳥とすれ違ったことだろう。

他のハドソン湾会社の幹部がそうしたように、アーチボルトもチヌーク族の族長の娘と結婚する。そうして生まれたのが混血のメイティ、ラナルド・マクドナルドだった。

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アーチボルトは北米各地の毛皮交易の拠点で働き、ラナルドは11歳になるとイギリス式の教育を受けるため、ウィニペグの「レッドリバー・アカデミー」に入学させられる。

レッド川が流れるこのウィニペグで、「日本最初の英語教師」が少年時代の一時期を過ごしていた。ウィニペグはやはり、さまざまな歴史物語の結節点なのだ。

イギリス紳士になるための教育を受けつつも、人種差別による「生きにくさ」を感じたのだろう、そして日本人が母と同じルーツを持つ民族だと思い込んだのかもしれない。青年となったラナルドは父に無断でアメリカの捕鯨船の船員となり、航海の途中、船を降りて北海道の焼尻島に上陸する。1848年のことだ。

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ラナルドについては今西佑子先生の著書があるほか、吉村昭氏が小説「海の祭礼」で取り上げておられる。

鎖国下の日本に上陸したメイティの青年は長崎に送られ、そこでペリー来航の際に通詞を務めることになる日本人に英語を教えた、というのがラナルドの冒険をめぐるストーリーだ。

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ラナルドを突き動かしたメイティとしての「生きにくさ」は1821年の2つの会社の合併に遠因がある。セルカーク伯が「レッドリバー植民地」を建設したことで、利害が対立するハドソン湾会社とノースウエスト会社の衝突が起きたことは既に説明した。

その解決策として、両社は合併という道を選択する。ライバルがいなくなり、毛皮交易で絶対的な地位を手に入れた新生「ハドソン湾会社」にはもはや、労働力であり、ペミカンの供給者であるメイティたちに配慮する必要など無くなっていたのだ。

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のちに国家への“反逆者”となるルイ・リエルは、そんな時代に生を受けた。ラナルドの日本上陸の4年前に生まれたリエルが処刑されたのは1885年。1894年に亡くなったラナルドよりもずっと短かい人生だった。

あの印象的な白い建物が見えてきた。「ハドソン湾会社」の毛皮交易における最大の拠点であり、司令塔だったヨーク・ファクトリーに足を踏み入れていく。

ラナルドの父、アーチボルドはウィニペグに向かう途中、入植者たちとここに滞在したはずだと考えたり、過去にここにやってきた日本人は僕以外にいるのだろうか、などと思っていると、なんだか不思議な感慨にとらわれてくる。“Heart of Canada”の物語はすべて、このヨーク・ファトリーから始まっているのだ。

文・写真:平間俊行

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