ずるぎつねの故郷を訪ねて

07. 「ウェンダットらしさ」を支える「我らが麗しの地」

お気に入りに追加
07. 「ウェンダットらしさ」を支える「我らが麗しの地」-イメージ1
ワンダケの通り

ワンダケに住みついて300年以上になるヒューロン-ウェンダットの人たち。今は、住まいも着る物も、他のカナダ人と変わらない。
また、ヨーロッパ系の人たちとの結婚が重なり、顔つきからはヨーロッパ人と区別がつきにくい人も多い。

ともすれば「欧化」の波に飲み込まれそうな中で、ワンダケの人たちは、どうやって「ウェンダットらしさ」を保っているのだろうか?

問題の一つは、言葉だろう。「文化」と「言葉」は切っても切れない関係にあるが、今のワンダケにヒューロン-ウェンダット語を母語とする人はいない。流暢にしゃべれる最後の人は、1912年に亡くなった。

「だけど、ウェンダット語は、死に絶えたわけではない」
と、私を案内してくれたケベック州先住民観光のセバスチャンさんは言う。
「ただ、長く使われていないので、眠っているだけなんだ」

07. 「ウェンダットらしさ」を支える「我らが麗しの地」-イメージ4
小学校「エコール・ワータ」正面

ウェンダット語を「眠り」から蘇らせる「ヤウェンダ」という活動があるという。「ヤウェンダ」は「声」という意味で、2007年に始まったらしい。

07. 「ウェンダットらしさ」を支える「我らが麗しの地」-イメージ5
「亀が大地を支える」という彼らの世界観を表現

「ヤウェンダ」の一環として、ワンダケの小学校ではウェンダット語を教えていると聞き、セバスチャンさんに頼んで見学させてもらった。

訪ねたのは「エコール・ワータ」。19人の児童が授業を受けていた。

廊下や美術室など、校内のあちこちで、ヒューロン-ウェンダットの神話や伝承をモチーフにした絵や、子どもらの作品が目に付いた。
ワンダケ_7 (45)トウモロコシ皮の人形はヒューロンの伝統工芸(左)、「三姉妹」が図画のテーマに選ばれていた(右)

さらによく見ると、フランス語とウェンダット語を併記したパネルが、様々なところに配置されている。児童が自然にウェンダット語に親しむ工夫だ。
ワンダケ_7 (67) 「ありがとう!」は「ティアウェンク!」(左)、教室の入口には「三姉妹」のウェンダット語も(右)

ワンダケ_7 (89)ウェンダット語の授業(左)、校長先生とウェンダット語の教科書(右)

07. 「ウェンダットらしさ」を支える「我らが麗しの地」-イメージ12
教科書にはCDもついている

かつてイエズス会の宣教師が布教のためにヒューロン-ウェンダット語を記録し、300ほどの単語が書きとめられていた。

それを元に教科書を作り、ウェンダット語の授業に使っている。

「ウェンダットらしさ」を忘れないためには、言葉や神話・伝承を学ぶだけでなく、代々伝わる風習、キャンプや、狩りや、宗教儀礼など、伝統的な活動を行うことも大切だ。

彼らが伝統的な宗教と風習を実践することは、1760年、植民地七年戦争の最中に、イギリスと和睦して結んだ「マリ条約」で保障されている。

ウェンダットの人たちは、条約に記された権利を回復する活動に取り組んできた。

07. 「ウェンダットらしさ」を支える「我らが麗しの地」-イメージ15
ヒューロン-ウェンダット国のテリトリー

地図で赤く示した地域は、条約締結時のヒューロン-ウェンダット国のテリトリー、「ニオンウェンツィーオ(我らが麗しの地)」だと言う。

ざっと300キロ四方の広大な土地だ。

条約の定めにより、この地域では、国や州の規制を受けることなく、狩りや漁など「伝統的風習」を実践できると、彼らは主張する。

250年以上も前のマリ条約は、今も有効なのだろうか? 
そして、彼らが主張する広大なテリトリーの中で、ウェンダットの人たちだけが、国や州の規制を受けずに*「伝統的風習」を行うことが許されるのだろうか?
(*ただし、ヒューロン-ウェンダット国の定めた規制には服さなければならない)

この問題は、裁判で決着をつけることになった。ワンダケの北にあるジャックカルティエ国立公園で、ウェンダットの人が野営のため、公園の規制に反して木を切り、焚き木をした。これは、違法かどうかが争われたのだ。

裁判は最高裁にまで持ちこまれた。そして、1991年、
「1760年のヒューロン国と英国の条約は、主権を有する国の間の国際的な合意として、今も有効。ヒューロンの人たちは、条約に記された権利を行使できる」
という趣旨の判決を勝ち取ったのである。

07. 「ウェンダットらしさ」を支える「我らが麗しの地」-イメージ18
コンラッド・シューイさん

セバスチャンさんのはからいで、首長にあたるグランド・チーフ、コンラッド・シューイさんにも面会できた。

グランド・チーフの重要な仕事は、ヒューロン-ウェンダット国の権利とテリトリーを守ることだと、シューイさんは言う。
そして、件の法廷闘争には、優秀な弁護士を雇って臨み、裁判官の全員一致による判決を勝ち取ったと、話してくれた。

左の写真に見えるように、彼の執務室の壁には、一枚のペーパーが大切そうに掲げられていた。
近づいてよく見たら、「マリ条約」の写しだった。

ウェンダットの人たちが、フランス人がつけた「ヒューロン」という名を今も使い、「ヒューロン-ウェンダット国」を名乗るのは、条約が「ヒューロン」の名で結ばれているからだと、これは別の人から聞いた。

カナダ先住民の共同体を、ファースト・ネーションズ、「最初の国々」と呼ぶのは、単なる比喩ではない。「ヒューロン-ウェンダット国」のように、独立したひとつの「国」として、イギリスやカナダなどの「国」と条約を結んでいる場合もあるのだ。

また、カナダ政府は、1998年に、先住民社会を「ネーション」として認めると宣言した。各ネーションに、統治の主体としての自決権を認めたのである。

文・写真:横須賀孝弘

コメントを残す