ずるぎつねの故郷を訪ねて

08. ワンダケの明日

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人々の考え方に大きな影響を与えるのが宗教だ。先住民の村に宣教師が派遣されたのも、受け継がれてきた世界観を捨てさせ、ヨーロッパ人と同じにさせる狙いがあった。

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ノートルダム・ドゥ・ロレット教会

パート6で見たように、ワンダケのウェンダットは、宣教師に勧められてヒューロニアからケベックに移ってきた人たちの子孫だ。

そのせいか、ワンダケに入って真っ先に目に着くのが、白くて大きな、カトリックの教会。ここは、観光客にも開放されている。

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教会の中

教会に入ってみた。
一見、他の教会と変わらない。
しかしよく見てみると、先住民の国の教会ならではの特徴がいろいろ見られた。

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たとえば、祭壇には、トウモロコシ、トマホーク、毛皮などヒューロンの伝統を象徴するものが供えられていた。

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カテリ・テカクウィタ像

カテリ・テカクウィタの像もあった。
1656年、ウェンダットがケベックに住み始めた時代に、イロコイ連邦のモホーク国に生まれた女性だ。

19歳で洗礼を受け、仲間から迫害されながらも、献身的な信仰を貫き、1680年に24歳の若さで亡くなった。

幼い頃天然痘に冒され、醜い痘痕(あばた)が残ったが、死後ほどなく、まばゆいほどの美しさに変貌したと伝えられている。

2012年、北米先住民として初の聖人に列せられた。

カテリ・テカクウィタの彫像を見たのは、ここが初めてではない。アメリカのラコタ(スー)族居留地を訪ねたとき、ミッションスクールで彼女の石像を目にした。
先住民の信者にとって、同じ先住民のカテリは、信仰の鑑(かがみ)として親しみやすいだろう…という、教会の思いが感じられる。

また、ラコタの居留地では、カトリックの教義を、ラコタの宗教上の考えやシンボルを使って説明する試みがなされていたが、ワンダケの教会でも、それと似た例を見た。

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「救世主の誕生と賢者の礼拝」ワンダケ版

聖書は、キリストが生まれた時、三人の賢者が礼拝し、乳香、没薬、黄金を贈ったと伝える。
その話が、ここでは、
「ロングハウスにキリストが生まれ、東西南北のチーフが来て、キツネとビーバーの毛皮を贈り物として捧げた」
という物語として、ジオラマで表現されていた。

遠藤周作の小説「沈黙」には、キリスト教(カトリック)が、日本の精神風土の中で、独特の形で伝わっていく実態を、棄教した神父が批判する場面がある。

しかし、カトリックは、世界の様々な所で、土地の伝統や宗教を取り入れつつ普及していったのではないだろうか。

ところで、セバスチャンさんによると、ワンダケの人たちの30%は非クリスチャンの伝統派だという。また、特に、若い人の間で、伝統宗教への回帰が見られるらしい。

セバスチャンさんから、ステキな新婚カップルを紹介され、オテルミュゼ プルミエ ナシオンのレストラン「ラトレイト(La Traite)」で夕食をともにしながら話を聞いた。

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ブリースさん・アローセンさん夫妻

夫のブリース・モリソンさんはブラックフットの出身だ。ワンダケに、「サンダンス」を広める使節としてやってきて、奥さんとなるアローセンさんに出会ったという。

ブラックフットは、ロッキーの裾野、アルバータ州の草原でバイソンを追って暮らしていた人たちである。

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かつてのブラックフットのサンダンス。F.レミントン画

ブリースさんが伝えに来たサンダンスとは、平原インディアンの宗教儀式だ。胸に串を刺して紐を結び、胸肉が引きちぎれるまで引っ張るという苦行が含まれる。

ヒューロンなど、東部の先住民には無縁だったサンダンスだが、「北米先住民の儀式」として受け入れられつつあるようだ。

話はそれだけではない。結婚してワンダケに住みついたブリースさんは、ここで「ミデウィウィン」という宗教を知り、その儀式に参加するようになったのだ。

ミディウィウィンは、オジブワ族など主に五大湖周辺のアルゴンキアンの、病気治療などを行う宗教で、元々ヒューロンにもブラックフットにもなかったものだ。

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ワンダケの観光パンフ

一方、奥さんのアローセンさんは、ワンダケ観光局に勤務。観光パンフレットの表紙も飾った。
表紙写真のアローセンさんが着ているのは、北米先住民の歌と踊りの祭り、パウワウの装いだ。

パウワウは、19世紀にアメリカ南部のオクラホマで始まり、次第に北へ広がっていったイベントだ。メインはダンス競技会で、参加するダンサーは、いくつかのカテゴリーに分かれ、踊りの技を競う。成績優秀者には賞金が出ることも多い。
平原インディアンの文化をベースに始まったが、他の地域の先住民も、「北米先住民の祭り」としてパウワウを催すようになった。

カナダ先住民の国々は、それぞれが固有の文化を持つ、独立した民族である。
けれども、ブリースさん夫妻と話して、ばらばらだったカナダの先住民が、宗教やパウワウを通して交流を深め、「カナダ先住民」ないしは「北米先住民」としての連帯やまとまりが育まれているように感じられた。

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ワンダケで、さまざまな人に会い、また、ヒューロン-ウェンダットの人たちの歩んできた道を知って、ワンダケの観光が成功を収めている理由が少しわかったような気がした。
それは、やはり、大都市ケベックに近いので集客しやすいというだけではないようだ。

ヒューロニアを追われ、はるばるフランスの根拠地、ケベックに移ってきた、ヒューロン-ウェンダットの人たち。
この、過酷な過去こそが、逆に、ワンダケを今日の経済的成功へと導いたのではないだろうか。

大消費地ケベックがあるため、ワンダケでは、18世紀末から、スノーシューやモカシンを製造する産業が興り、ヨーロッパ系の人たちとビジネスで渡りあってきた。

リゾートホテルという、大きな事業を始める気概と、経営の手腕は、そうした、200年以上に渡るビジネス経験の積み重ねがなければ、中々生まれなかっただろう。

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それだけではなく、ヒューロン-ウェンダットには古くから客人をもてなす気風があった。

ウェンダットの人たちが、「おもてなし」の伝統にプライドをもち、歓待する気持ちで客に接していることも、観光事業が成功している理由の一つと思われてならない。

「ずるぎつね」の故郷ワンダケ。人々の暮らしに、歴史小説に描かれた時代の面影はない。けれども、よく見ると、「ヒューロンらしさ」というか、「ヒューロン-ウェンダットであることを誇らしく思う気持ち」が、脈々と息づいていた。

ヒューロン-ウェンダットの人たちは、シャンプランと出会ってからの波乱の400年を、自ら大きく変わりながら生き抜いてきた。これからも、大都会ケベックのすぐ隣で、外からの様々な影響を吸収して、栄えていくことだろう。

ワンダケ_8 (10)
ワンダケを去る日の朝、雪が降った。 初雪だという。

「これまでに泊まった中で最高のホテルだった*」
フロントのゲストブックにそう記して、私は「ずるぎつね」の故郷を後にした。
(*個人の感想。評価は、人によって違いがある)

文・写真:横須賀孝弘

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