09. 暮らしの痕跡

マニトバ ― Heart of Canada09. 暮らしの痕跡

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秘境に位置するヨーク・ファクトリーに港などない。ボートが接岸した後は荷物をかついで木の階段を登っていく。

2番目の写真、上から眺めたヨーク・ファクトリーを見てほしい。目の前をヘイズ川が流れ、その先、北の方にあるのが、1年の半分は氷に覆われるというハドソン湾だ。

「ハドソン」の名前は、かつてこの地に到達した探検家ヘンリー・ハドソンに由来する。もっとも「ハドソン」と言えば、やはり彼が探検したアメリカ・ニューヨークのハドソン川の方がずっと有名かもしれない。

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いずれにしても、探検家ハドソンが発見した巨大な湾に帆船ノン・サッチ号が到達し、ビーバーの毛皮を入手したことから「ハドソン湾会社」が誕生した。

かつて海と川を通じ、イギリスとカナダ内陸部をつないできた毛皮交易の拠点を散策してみる。

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ヘイズ川の河畔にあるヨーク・ファクトリーは、本国とのゲートウェイという点では最高の場所だったが、一方でたくさんの問題も抱えていた。

ここに来る途中、ネルソン川で見かけたように、このあたりの地盤は柔らかく、土は徐々に侵食されながら崩れ落ち、ヘイズ川へと水没し続けている。例えばこの川岸へと続く道の先には、かつて教会があったという。

川による侵食だけでなく、極北の地面は溶けたり凍ったりを繰り返すため、建物までもが浮き沈みすることになる。木で建物の基礎部分を作ればすぐに腐ってしまうため、石やレンガを使う必要があった。

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そんな土地だからなのだろう、僕がヨーク・ファクトリーの墓地で出会った墓石はことごとく傾いていた。

雪に覆い尽くされ、湾は凍りつき、氷点下の日々が続く長い冬が終わると、ヨーク・ファクトリーにも数カ月だけの夏が訪れる。しかし今度は、凍った地面が溶けて沼のような水たまりとなり、そこから無数の蚊が発生した。口を開けて歩くことなどできない「夏」だったという。

年に1度来るはずの船が来ない年すらあったと聞いた。国も民族も違うけれど、僕らの先祖は生きるために、なんと過酷な日々を送っていたのかと思わずにはいられない。

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そして僕は、傾いた墓石の中に「OAKNEY」の文字を見つけていた。オークニー諸島。大英帝国のスコットランド北部に位置する島々だ。

ひ弱なロンドンっ子など、この厳しい自然環境では暮らせない、ということだろうか。「OAKNEY」の頑強な漁師の息子たちがヨーク・ファクトリーに呼び寄せられた。

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そもそも、毛皮交易の効率をあげるため、白樺の樹皮のバーチ・バーク・カヌーにとって代わったヨーク・ボートこそ、オークニー諸島の漁船を原型としている。

ヨーク・ファクトリーの白い建物に足を踏み入れる。がらんとした内部と、やけに多い窓が目につく。ロウソクの炎による火事を避けるために窓を多くし、少しでも外の光を取り入れようとした結果だ。

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建物の中には、周辺や岸辺から見つかったさまざまな品が展示されていた。物資のほとんどが帆船で本国から運ばれてきたはずだ。ストーブや銃、陶器などのほかに、バリカンや注射器、何かのチューブもあった。

バリカンは「OAKNEY」からやってきた若者たちの散髪に使われたのだろうか。この櫛は、農地を失って今のウィニペグ、「レッドリバー植民地」に入植するためやってきたスコットランド人たちの髪を整えたのだろうか。

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「日本最初の英語教師」となるラナルド・マクドナルドの父アーチボルトも、困窮したスコットランド人たちを引き連れての旅の途中、確かにここにいたはずだ。

ヨーク・ファクトリーの内部は、のちにカナダとなる土地で懸命に生きようとした人たちの痕跡に溢れていた。

僕は建物のてっぺん、屋根の上の塔のような部分に登ってみた。縦に細長い窓からはヘイズ川を見渡すことができた。

ある日、この窓の中に待ち焦がれた船影を見つけることになる。積み荷は交易品だけではない。船は生きるための物資と、新天地で生きようとする人々を乗せていたのだ。

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