
STORY
カナダの人々
イヌイットとつながりたい 「石の島」の物語
極北の狩人には前歯がない

ケープ・ドーセット空港の砂利の滑走路
1時間あまりのフライトで到着したケープ・ドーセットは、ドーセット島という小さな島の北側にへばりつくようにしてある、それはそれは小さな町だった。そしてここはイカルイトにも増して、いよいよ「石の島」だった。
プロペラ機が着陸したのは砂利の滑走路。空港ターミナルは本当に小さくて、入って出るまで15メートルほどしかない。そのターミナルを出ると、目の前に道路らしき広がりがある。駅前ロータリーみたいものだが、広場とも言えないような小さな空間はやはり舗装されていなかった。

空港前もやはり砂利。四輪バギーが活躍する
イカルイトはかろうじて幹線道路が舗装されていたけれど、ケープ・ドーセットにはそもそも舗装した道路がないのだと思う。
目の前で、四輪バギーに荷物を積み込んで去っていく人がいた。ここでは小回りのきく四輪バギーが大活躍なのだ。どうりでイカルイトには「廃車置き場」さながら、「廃バギー置き場」があったわけだ。

ケープ・ドーセットでは舗装道路にはお目にかからない
さらに僕は気がついてしまった。砂利道ばかりのケープ・ドーセットでは、車輪の付いたスーツケースはコロコロとは進んでくれないことを。
「いちいち持ち上げて運ぶことになるなあ」などと考えながら、迎えのピックアップトラックの荷台にスーツケースを乗せようとしたとたん、「取っ手」の部分が吹っ飛んで壊れた。このタイミングで「取っ手」が壊れたのはかなりの痛手だ。

電信柱を立てるのにもここでは工夫が必要だ
ケープドーセットは、固い岩を土が薄く覆っているような土地だ。電信柱は土で満たされた巨大な「ツナ缶」のような金属の輪に突き刺さっていた。
生協が経営するスーパーマーケットを覗いてみた。キャベツが1個12ドルほど。日本円なら1000円ぐらい。ここには木が生えないし、野菜も育たたない。物資はすべて船や飛行機で外から運んでくるから割高だし、天候が荒れたらそのうちに食料が乏しくなってしまう。

キャベツ1個の値段が1000円ほど
そして、ケープドーセットを歩くうちに僕はこんなことを感じ始めていた。イヌイットはここで、「生きる」とか、「食べる」とか、そういう直接的な目的のためだけにセイウチやアザラシやベルーガを捕ってきたのだ。なにしろ他に食べるものがないのだから。

ガイドをしてくれたトゥクプーさん
イヌイットと聞くと、僕らは「極北の狩人」とか「誇り高きハンター」とか「最後の狩猟民」とか、そんな格好いい言葉が頭に浮かんでこないだろうか。しかし、あえて誤解を恐れずに言えば、僕が出会ったイヌイットは、そんな格好いい人たちでは決してなかった。
イヌイットはみんな、照れくさそうに、はにかむようにニコニコしている「いい人」たちだった。都会に出たら悪いヤツにすぐに騙されてしまいそうだ。そんな印象を強くさせる理由がもう1つある。イヌイットの多くが、なぜか前歯がないのだ。現地でガイドをしてくれたトゥクプーさんも、やはり前歯がなかった。

イヌイットは「いい人」ばかりだ=ジミーさん撮影
ケープ・ドーセットには歯医者がないから、治療するには飛行機で大都会に行かなければならない。お金もかかるし当然、歯の治療は遅れがちになる。かといって、なぜ前歯ばかり抜けるのかは謎だが、とにかくイヌイットには「誇り高きハンター」みたいなオーラは全然なくて、恐ろしく「いい人」ばかりだった。
そして、徐々にイヌイットと彼らのアートに対する僕の視点が定まってきた。彼らは「生きたい」「食べたい」と思って狩りをしてきた。獲物が捕れなければ飢えてしまうから狩りの成功を心から祈ったし、食料となってくれる動物に心から感謝した。だからその祈りや感謝には一片の「嘘」もない。「嘘」のない祈りや感謝が版画に、彫刻に、込められている。だから感動するのだ。

「嘘」のない祈りや感謝が生み出す彫刻
イヌイットについて僕はこんな話を聞いたことがある。アートに取り組む理由を聞かれた時の答えがこうだった。「お金のためだ」。
「芸術を極めたい」などと言われたら、逆に嘘っぽく感じてしまう。彼らは狩りをしていた頃と何も変わっていない。だから彼らのアートには不思議な説得力があるのだろう。
文・写真:平間俊行