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イヌイットとつながりたい 「石の島」の物語

浮世絵とイヌイット

ヌナブト準州
ケヌジュアク文化センター&プリントショップ

ケヌジュアク文化センター&プリントショップ

ケープ・ドーセットというのはもちろん、白人が付けた名前だ。イヌイットはこの地を「キンガイット」と呼んできた。「高い山」とか「山々」といった意味だそうだ。

ただし、われわれ日本人には高いどころか、「山」とも思えない丘があるにすぎない。それでも、起伏の少ない「石の島」では十分に「山」なのだろう。

版画の原画を描くアーティスト

版画の原画を描くアーティスト

彼らが言う「山」の上に2018年、「ケノジュアク文化センター&プリントショップ」という施設がオープンした。あのケノジュアク・アシェバクさんにちなんで名付けられたのは言うまでもない。

ここはイヌイットのアーティストが版画を製作する工房だ。同時に、クルーズ船でやってきたツーリストが版画を購入したり、イヌイットが自分たちの暮らしや伝統文化をツーリストに紹介する場でもある。

僕が訪れた時は、イヌイットの女性が大きな紙の上に座り込み、鉛筆で「原画」を描いていた。

イヌイット版画の右下にある落款のようなデザイン

イヌイット版画の右下にある落款のようなデザイン

プリントショップに展示されている作品には、すべてにではないものの、やはり右下に落款のようなものが描かれていた。イヌイット版画と日本の版画は確かにつながっているのだ。

日本とケープドーセットを結びつけた人物こそ、イヌイットの中にアートの才能を見出したジェームズ・ヒューストンだった。雑誌で日本の版画が紹介されているのを見たヒューストンは1958年に来日、「木版画の神様」とも呼ばれた平塚運一氏の下で3カ月間、版画技術を学んだ。

ヒューストンが師事した平塚運一氏の作品

ヒューストンが師事した平塚運一氏の作品

そうして彼がイヌイット版画に導入したのが、原画を描く「絵師」、版木に彫る「彫師(ほりし)」、紙に摺る「摺師(すりし)」という分業システム。そしてもう1つ、日本の和紙だ。

さっき紙の上に座り込んで原画を描いていた女性も、あのケノジュアクさんも、さしずめ「絵師」ということになる。日本の浮世絵なら、例えば葛飾北斎がそれに当たる。

日本との違いと言えば、彫るのは版木、つまり木ではなく、薄い石の板だということ。木は生えないが、「石の島」には石がある。また、紙に絵を写し取る際に使う竹の皮の「バレン」が、ここではアザラシの皮でできている。しかし最大の違いは、イヌイット版画が「版木」に石の板を1枚だけ使う点だろう。

犬がホッキョクグマを取り囲むイヌイットの版画

犬がホッキョクグマを取り囲むイヌイットの版画

日本の浮世絵は複数の版木で部分ごとに摺り上げていくのに対し、イヌイットの版画は、ある部分を刷ったらそれを削り取った上で、次に摺る部分をまた彫る。つまり、彫っては摺り、摺っては彫り、を繰り返す。だからイヌイット版画は二度と刷り直しができないし、最初に摺った枚数しかこの世に存在しない。「一期一会」のような版画なのだ。

クジラの版画も薄い石の板の「版木」から作られる

クジラの版画も薄い石の板の「版木」から作られる

この写真は文化センターにあった石の「版木」だ。イヌイットが生きる糧(かて)としてきたホッキョクジラはこの1枚の「版木」で摺り上げられる。ちなみに、右上が丸く欠けているのは、不要になったビリヤード台の石の板を再利用しているからだそうだ。

セイウチの牙の文様が「版木」の役割を果たした

セイウチの牙の文様が「版木」の役割を果たした

さて、ジェームズ・ヒューストンがイヌイットに版画づくりを勧めるきっかけとなったエピソードが語り継がれている。登場するのはJohn Player & Sonsというイギリスの会社の「NAVY CUT」という船員が描かれたタバコだ。

ある日、2つのタバコの箱に同じ船員の顔が描かれているのを見たイヌイットが、ヒューストンにこう言ったそうだ。「全部の箱に同じ絵を描くなんて、退屈な仕事に違いない」。

刷り上がったクジラの版画の仕上げの様子

刷り上がったクジラの版画の仕上げの様子

ヒューストンは印刷の仕組みを説明しようと、セイウチの牙の文様にインクをたらして紙に摺ってみせた。「これなら俺にも出来る」。このひと言がイヌイット版画の始まりとなった。

イヌイットが長い間、セイウチやイッカクの牙に願いや祈りを込めて刻んできた文様が「版木」の役割を果たし、彼らにアートの道を開いてくれた。きっかけを作ったのはジェームズ・ヒューストンだが、彼が学んだ日本の版画技術と和紙がそれを支えている。そんなことを知れば知るほど、風変わりな絵としか思えなかったイヌイット版画がまったく違ったものに見えてくる。僕はイヌイットと「つながり」始めている。

文・写真:平間俊行

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コメント

  • 安田春彦

    私は、イエローナイフでオーロラの撮影に行きました。町の人口は、7000人ぐらいで、イヌイット、インデアン、白人が生活しています。行ったのが12月後半でマイナス35℃ぐらいありました。地元の人に走ったら駄目だと言われました。肺が凍るそうです。2週間滞在して1週間は、ずっと吹雪でした。外を歩いたら顔に雪の結晶があたりいたかったです。初めての体験です。イヌイットの伝説で、口笛をふくとオーロラが出て来るそうです。カナダでは、オーロラの事をノーザンライツと言います。

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