
STORY
歴史・文化
イヌイットとつながりたい 「石の島」の物語
ジミーさんに出会った

ジミーさん作の「イヌクシュク」の数々
この連載の第4回「極北の狩人には前歯がない」の中で、「ジミーさん撮影」という写真があったのに気づいていただいた方はいるだろうか。
僕がケープ・ドーセットで出会ったジミーさんという人物は、まあなんと言うか、あえて誤解を恐れずに言うと、かなりの「変態」なのだ。

真っ白な骨や角が並べられている
僕もカナダ最東端のニューファンドランドで、タラとキスする「スクリーチ・イン」なる儀式にはまったり、カナダ国民が愛してやまないドーナツチェーン店「ティム・ホートンズ」の謎を解明しようと望遠レンズでカウンター奥を狙ったりと、まあ、そこそこの「変態」ではあるのだが、ジミーさんにはどうもそれ以上の「匂い」を感じてしまう。
ジミーさんは、海を目の前にした自宅の周囲に、真っ白になったベルーガの骨やカリブーの角、さらにイヌイットの道しるべとも言うべき「イヌクシュク」をたくさん作って並べ、それを「ガーデン」と呼んで楽しんでいる。

ジミーさんの「ガーデン」
日本風に言うと「三途の川」みたいで結構不気味なのだが、人懐っこくて世話好きなジミーさんを知ってしまえば、「三途の川」も楽しいテーマパークのように思えてくるから不思議なものだ。

明るく世話好きなジミーさん
ジミーさんは一見、白人のように見えるが、その体にはイヌイットの血も流れている。ジミーさんはれっきとした「地元の人」なのだ。
そもそもジミーさんは、イギリスから来た「ハドソン・ベイ」という会社の社員の末裔だ。そう言われても何だか分からないだろう。少し説明したい。

空港で見かけるハドソン・ベイの「トレーディングポスト」
カナダを旅していると、空港で「HUDSON’S BAY COMPANY TRADING POST」というお店を目にすることがある。トレーディングポストとはかつてあった、白人と先住民による交易所のことだ。
ハドソン・ベイは、イギリス国王の勅許を受けて1670年に設立された毛皮交易会社だ。もちろん今は毛皮交易はやっておらず、デパートなどを経営する会社になっている。
そのハドソン・ベイは、のちにカナダとなる大地のいたる所に交易所=トレーディングポストを設置し、先住民から毛皮を手に入れていた。

ケープ・ドーセットにあるかつての交易所
白人たちは自分で動物を捕まえて毛皮を入手することができない。だから先住民、南の方ならかつてインディアンと呼ばれた人たち、ここではイヌイットの人たちに毛皮を交易所に持ち込んでもらい、代わりに銃とかヤカンとか小麦粉といった品々を手渡す。そうして入手した毛皮は本国に送られ、ヨーロッパで「商品」に生まれ変わるのだ。
だからケープ・ドーセットにも、かつてのハドソン・ベイの交易所の建物が残っている。ここで働くために大西洋を渡ってやってきたジミーさんのご先祖がこの地に住みついたのだろう。

ジミーさんが書いてくれた3人のキーマンの名前
そんなジミーさんは、イヌイット・アートにかかわる1人として、僕にたくさんのことを教えてくれた。僕の取材メモには、ジミーさんが自ら書いてくれた3人の名前が記されている。
テリー・ライアンとは、イヌイットの彫刻や版画の原画を買い取ったり、それを大都会のトロントで販売したり、つまり仕組みの面からイヌイット・アートを支える「生協」の中心人物。既に紹介したジェームズ・ヒューストンは、イヌイットの中にアーティストとしての才能を見出した。そして地元、ケープ・ドーセットに暮らすジミーさんは、生協の運営に当たるなど、イヌイット・アートやその暮らしを今も支えている。

ジミーさんが切り取ったケープ・ドーセットの暮らし
そしてジミーさんは、自分が撮影したケープ・ドーセットの写真を大量に貸してくれた。ぜひそれを見てほしいと思う。そうすれば、ジミーさんが「ガーデン」をつくっているだけの変わった人ではなく、白人とイヌイットの血を引き、ケープ・ドーセットをこよなく愛する人物であることを理解してもらえるはずだ。
ジミーさんのケープ・ドーセット写真館
https://www.canada.jp/stories/post-23521/
文・写真:平間俊行