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イヌイットとつながりたい 「石の島」の物語

人はここまでやってきていた

ヌナブト準州
潮が引いた時間帯だけ徒歩で対岸に渡ることができる

潮が引いた時間帯だけ徒歩で対岸に渡ることができる

トゥクプーさんの案内で、ケープ・ドーセットの対岸へとハイキングに出かけた。肩にはライフル銃。突如、ホッキョクグマが現れたりするのだろうか。

対岸に渡れるのは引き潮の時間帯だけ。ハイキングを終えるころには潮が満ちているので、帰りはボートで迎えに来てもらわなければならない。

海岸には夏でも溶け残った大きな雪の固まりがあった

海岸には夏でも溶け残った大きな雪の固まりがあった

サラサラと音を立てて水が海へと流れる中、トゥクプーさんが用意してくれたブカブカのゴム長をはいて歩く。8月だというのに、溶け残った巨大な雪の固まりが海岸に鎮座している。やはりここは北極に近いのだ。

イヌイットの祖先が暮らしていた昔の住居跡

イヌイットの祖先が暮らしていた昔の住居跡

この辺りにはドーセット文化(約2800~1000年前)とか、チューレ文化(約1000~400年前)とか、そんな昔に、イヌイットやその祖先がどんな暮らしをしていたのかを示す遺跡がある。

これは住居跡。水辺の土を掘り、石を積んで土台と壁にし、上にはクジラの骨を組み合わせて獣の皮で屋根を作った。

北極の近くには4000年以上前から人が住んでいたが、はじめはこのように定住してホッキョククジラを捕って暮らしていたという。

住居の屋根はクジラの骨で支えていた

住居の屋根はクジラの骨で支えていた

のちに寒冷化の影響でクジラがあまり捕れなくなったため、人々は家を捨ててイグルーやテントでの移動生活を始め、アザラシやベルーガ、セイウチ、カリブーなどを捕って暮らすようになった。そんなところにヨーロッパ人がやってくるのだ。

白人はカナダの海で捕れるCOD(コッド)と呼ばれるタラや、クジラを欲していた。CODは肉を食べられない時期があるカトリック教徒の貴重なたんぱく源となったし、クジラの脂は照明に欠かせなかった。

やがてヨーロッパからは、ジミーさんのご先祖が勤めていた「ハドソン・ベイ」が毛皮を求めてやってくるようになる。上の青丸がケープ・ドーセットなどがあるエリア。下の赤丸はハドソン・ベイが最大の拠点「ヨーク・ファクトリー」を置いた場所だ。

ちなみに黄色い丸の「チャーチル」という街は、第二次大戦時のイギリスの首相、チャーチルのご先祖様からとった。昔々、ご先祖様はハドソン・ベイの総裁を務めていた。

ハドソン・ベイの拠点、今も残るヨーク・ファクトリーの建物

ハドソン・ベイの拠点、今も残るヨーク・ファクトリーの建物

「ハドソン」とはそもそも探検家ハドソンのことで、彼の名はカナダでハドソン湾となり、アメリカではハドソン川となった。

そのハドソン湾にヨーク・ファクトリーという拠点を建設した「ハドソン・ベイ」は、イヌイットの地にも小さな交易所を置いて、ホッキョクギツネの毛皮を欲しがった。だからイヌイットもホッキョクギツネを捕るようになった。

ホッキョクギツネを捕らえるためのイヌイットの罠

ホッキョクギツネを捕らえるためのイヌイットの罠

この石積みはイヌイットが作ったホッキョクギツネ用の罠。これだけだと何だか分からないが、周囲が雪に閉ざされ、上まで雪に埋もれている光景を想像してほしい。石積みの中は空洞。つまり、これは落とし穴なのだ。

そして、罠とは別の石積みもあった。中には人骨収められていた。

別の石積みの中には人骨が収められていた

別の石積みの中には人骨が収められていた

ヨーロッパから、アメリカから、帆船で極北の地にクジラを捕りにやってきた人たち。故郷に戻ることなく命を落とした人の骨は、木も草も生えない「石の島」で、石積みの中に埋葬されていた。

人はここまで、こんな寒い極北にまでやってきていた。イヌイットとその祖先。ジミーさんにハドソン・ベイ。そして名もなき「クジラ捕り」たち。

人は生きるために信じられないほどの距離を移動していた。移動し、出会うことでさまざまな「つながり」を生みだした。その上に今があるのだ。

文・写真:平間俊行

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