07. シンフォニーのように

カナディアン・ロッキーを越えて07. シンフォニーのように

お気に入りに追加
07. シンフォニーのように-イメージ1

大陸横断国家・カナダの建設に当たり、歴史的に大きな意義を持つラストスパイク、そしてクレイゲラキーに別れを告げ、ロッキーマウンテニア号はいよいよカナディアンロッキーへと近づいていく。

車窓から見える風景も徐々に「ロッキー」という感じになってきた。一人旅だという高齢のドイツ人男性が、隣で外の景色にじっと見入っている。素敵な旅だと思う。それにカラフルなシャツが実に似合っている。日本人だとこうはいかない。

07. シンフォニーのように-イメージ2

一方の僕はいうと、これから昼食を前にした厨房の取材だ。階段を下りて1階の「レストラン」へと向かう。乗客がいつ来てもいいように、既にテーブルは準備万端、といった佇まいだ。

ロッキーマウンテニア号のメニューは、ジャン・ピエール・グレンとフレデリック・クトンという2人の有名シェフが監修している。そして、1回の運行につき7~8両ある「ゴールドリーフ」の各車両にはすべて個別の厨房があり、専属の料理人が3人ずつ配されている。

07. シンフォニーのように-イメージ3

バンクーバーから乗車する前日、ロッキーマウンテニア号の広報担当者に話を聞くことができた。いわく、

「キッチンにはさまざまな工夫が施され、3人のシェフが常に“シンフォニーのように”、連携して仕事に取り組んでいる」、とー。

確かに、決して広いとは言えない厨房スペースの中、流れるような動きで昼食の準備が進められている。

07. シンフォニーのように-イメージ4

乗客が1階に下り、昼食の注文が始まると、厨房はいよいよ活気と緊張感に包まれ始めた。サーモンをソテーし、ハンバーガーのパテを焼き、付け合せを丁寧に盛り付け、シェフとサーブの女性が何事か言葉を交わす。シンフォニーは一気にそのテンポを上げていった。

07. シンフォニーのように-イメージ5

天然サーモンのグリルはこのボリューム。立体的な盛り付けがさらに迫力を増している。アルバータポークのヒレ肉も絶品だった。

そうそう、きのうも紹介は見送ったけれど、こうした昼食には当然、チョコレートケーキなどのデザートがつく。料理ばかりになってしまうので、これ以上写真を載せるのは見送るけれど、これもまたなかなかのボリュームだ。

07. シンフォニーのように-イメージ6

ロッキーマウンテニア号に乗車する機会があったら、ぜひとも絶品料理の数々を自分の目で確かめてほしい。

さて、列車はこのルート開通時の最大の難所「ロジャーズ・パス」へと差し掛かっていく。当時、ロッキー山脈と並んで走るセルカーク山脈は、山越えでの最大の難所と目されていた。

ここをどうやって突破するのか、ルートの探査を任されたのがアルバート・ロジャースというアメリカ人だった。山脈を縦走し、調査隊がついに見つけた突破可能な峠が、今の「ロジャーズ・パス」だ。冬には15メートルもの積雪があり、6・4キロにもわたって雪崩を防ぐスノーシェッドを設ける必要があったが、それでもまさに開通への「突破口」だったと言える。

07. シンフォニーのように-イメージ7
Byron Harmon, Avalanche clearing on C.P.R. line in the Selkirks, 1910, (v263-na-1656), Whyte Museum of the Canadian Rockies

この雪深い難所では、1910(明治43)年に大規模な雪崩が発生し、除雪作業に当たっていた作業員58人が第二波の雪崩に巻き込まれて亡くなっている。そして、犠牲者にはなんと、32人もの日本人が含まれていたのだ。

映画「バンクーバーの朝日」で、主人公レジー笠原の父は、鉄道工事の仕事をしていた。

当時、バンクーバーの日本人社会には、労働者集団をたばねる「ボス」とよばれる存在がいて、このボスが木材の伐採キャンプや鉄道工事の仕事を受注し、労働者を集団で送り込む仕組みがあったそうだ。映画でも、レジー笠原の父親役、佐藤浩一さんら日本人労働者がトラックの荷台に乗せられて移動するシーンがあったと記憶している。

07. シンフォニーのように-イメージ8
Byron Harmon, Train ploughing out March 5, 1920 avalanche at snowshed no. 14 in the Selkirks, 1910, (v263-na-1656), Whyte Museum of the Canadian Rockies

ロジャーズ・パスで犠牲になった日本人も、そんな人たちだったのだろうか。

大陸横断鉄道はその建設においても、多くの犠牲を生んでいる。例えば開通前の工事では、アメリカでの鉄道工事の経験がある中国人労働者が安い賃金で大量に雇われている。事故が相次ぎ、線路1キロごとに3人の中国人労働者が命を落とした、という話まである。

興味深いのは、ロッキーマウンテニア号が乗客に提供する資料で、こうした中国人労働者の犠牲についても言及しているという点だ。

07. シンフォニーのように-イメージ9

そう考えて僕がふと思い出したのが、2014年冬のオタワ・戦争博物館での取材だ。頼んでもいないのになぜか副館長の女性が現れ、太平洋戦争時にバンクーバーの日系人が財産を没収され、強制収容所に送られたことを伝える写真展へと僕を案内したのだ。

07. シンフォニーのように-イメージ10

実はそこで調べたかったのは全く別のテーマだったし、時間もなかった。しかし彼女にすれば日本人が取材に来る以上、その目的が何であれ、強制収容の事実を説明せずにはいられなかったのだろう。バンクーバー朝日軍が消滅したのも、強制収容という行為によって日系人社会が根こそぎ、崩壊させられたからだった。

決して正当化されない人種差別的な措置ではあったけれど、ロッキーマウンテニア号が中国人労働者の犠牲について紹介しているのと同様、カナダの人たちが過去と正面から向き合おうとする姿勢はきちんと評価されるべきだ。

07. シンフォニーのように-イメージ11

ロッキーマウンテニア号のスタッフも厨房も、いろいろな国の出身であろう人たちがいっしょになって、和気あいあいと仕事をしていた。

厨房の料理人だけではない、ロッキーマウンテニア号全体が、移民の国・カナダを象徴するような“シンフォニー”を奏でていた。

列車を降りる時には、封筒に入った絵葉書と、スタッフたちが名前などを直筆で書いたこんなメッセージカードも贈ってくれた。

カナダの魅力は雄大な大自然だけではない。フレンドリーで純粋なカナダの人たちそのものが、この国の最大の魅力なのだろうと僕は思っている。

コメントを残す