07. 生き返った森

永遠のカヌー07. 生き返った森

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湖畔での昼ご飯を終え、僕は再び、あのトム・トムソンが愛したアルゴンキンの湖へと漕ぎ出していった。

カヌーで進んでいくと、湖面のあちこちで、こうした睡蓮の葉と、その白い花を見ることができる。

緑と黄色の丸い葉っぱのじゅうたんに浮かぶ白い花を音で表現すると、ほわり、ほわり、という感じだろうか。

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手にした白い花を、音をたてないように湖面に「ほわり」と置いたような、そんな咲き方だ。

ビーバーの毛皮を運ぶバーチ・バーク・カヌーが描かれた絵にも、この睡蓮は登場する。カナダのカヌーの旅に、この光景は欠かせないものなのかもしれない。

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この自然豊かなアルゴンキンは1893年に、オンタリオ州初の州立公園に指定された。トム・トムソンがやって来るおよそ20年前のことだ。

「手つかずの自然」という表現があるけれど、アルゴンキンはまさに「手つかずの自然」そのもののようにも見える。

しかし、かつてのアルゴンキンは荒廃し、実は一度死にかけている。自然が豊かだったからではなく、自然が失われそうになったからこそ、アルゴンキンは州立公園になった、というのがその真相だ。

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1800年代の初頭、アルゴンキンには木造船舶の建材にぴったりなホワイトパインの巨木が無尽蔵と言っていいぐらい立ち並んでいた。帆船のマストにぴったりな巨木の存在を知ったイギリスは、1830年ごろからアイルランド移民などたくさんの人々をこの森に送り込み、次々と巨木を伐採させていった。

冬の間に切り倒された木は、馬に乗せて凍ったオタワ川の近くへと運ばれる。春になって氷が溶けると、筏のようにして川面に浮かべオタワへと運んでいく。

そう言えば、今はカナダの首都であるオタワも、そもそもはオタワ川ぞいの小さな製材業の街だったという。

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以前、オタワを取材した時、オタワという名前になる前の、「バイ・タウン」という名前のさらに前は、ここは「ランバー・タウン」とも呼ばれ、荒くれ者の木こり=ランバージャックたちが集まる治安の悪い街だった、と聞かされた。

なにしろ1859年に英国のビクトリア女王によってカナダの首都に選ばれた時には、トロントの新聞記者がオタワを称して「最も北極点に近い材木村」と評したほどだ。

さて、アルゴンキンで切り出された巨木は川の流れに乗ってオタワへと集まり、そこからさらにセントローレンス川を流され、ケベック・シティへと運ばれていく。

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ただしケベックから先はイギリスへと向かう大西洋の旅だ。筏というわけにはいかない。

巨木は、大きな木造の帆船に積み込まれることになるが、丸太のままでは船が揺れた時に不安定だし、無駄なスペースも生まれてしまう。

だからアルゴンキンで伐採された巨木は、斧でこのように四角く削られていた。当時はこの作業を斧一本でこなしたというのだから、どんでもない技術と体力、そして忍耐力だと思う。

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こうした人間の営みがたったの70年間続けられた結果、無尽蔵と思われたアルゴンキンの巨木は伐採され尽くし、放置された枝などが乾燥して山火事も頻発した。その結果、写真のように森は丸裸になってしまったのだ。

森林や野生動物の保護、水源の確保を目的に州立公園として再スタートしたアルゴンキンは今、見事に再生され、徹底した管理の下で森林の伐採や狩猟も続けられている。

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僕はムースを間近で見たし、こんな鳥たちもいっぱい目にすることができた。もちろん、公園内はどこもかしこもメープルやホワイトパインの木々でいっぱいだ。

木こりたちは生きるために大西洋を渡ってアルゴンキンにやってきた。大勢の男たちが窮屈で窓すらない小屋に押し込められ、ひたすら伐採作業に従事させられたという。

そこに誰の悪意もない。ただ言えるのは、森を殺すのも生き返らせるのも、健気な人間の営みだ、ということだろう。

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