Column 1:イヌイットアートの世界

C.W.ニコル、北極圏 への航海。Column 1:イヌイットアートの世界

お気に入りに追加
Column 1:イヌイットアートの世界-イメージ1
「オーシャンエンデバー」に講師として乗り組んだ石彫アーティスト、プトゥグック・キアツク氏。航海中、デッキで制作過程を見せてくれた。

石に彫られた小さなカリブーが、全ての始まりとなった。

トロント生まれの若い芸術家、ジェイムズ・ヒューストンは、初めて訪れた北極圏のイヌイットのキャンプで、熱心にそこに生活する人々のスケッチを続けた。ある日、泊めてもらっていたテントに隣人たちがやって来た。

Column 1:イヌイットアートの世界-イメージ2
カヤックで獲物を狙うハンター。細部にわたってよく観察され 見事に彫り上げられている。

「わたしはスケッチブックを二冊とりだした。一つはわたしのため、一つは彼らのため。わたしは真剣だった。しばらくしてから、そこにいた訪問客の奥さんと覚しき人物の絵を描いた。描き終えると、彼女の夫がわたしのスケッチブックから注意深くそのページを破りとり、それをていねいに四つにたたんだ。彼女は満足そうに見える。間もなくその男は姿を消し、わたしもひと息新鮮な空気を吸いに外に出て岩場の方に行った。テントに戻ろうとすると、さっきの男が私の前にやってきて、いきなり握り拳を突き出すではないか。(中略)手を開くと、彼の手の中に石で彫った小さなカリブー[北アメリカのトナカイ]が握られていたのだ」(ジェイムズ・ヒューストン著、小林正佳訳『北極で暮らした日々』どうぶつ社刊より引用)。

Column 1:イヌイットアートの世界-イメージ3
イヌイット版画の第一人者、故ケノジュアク・アシェヴァクさんが 発表して以来、フクロウは人気の高い題材になった。

この『北極で暮らした日々』という本は、イヌイットの世界と真摯に向き合う著者の姿が生き生きと描かれていて面白い。上に引用させてもらった箇所は、中でも好きなところだ。このあとジェイムズは、別のスケッチのあとでさらに2つの彫刻を贈られる。これらの品が、彼を動かした。イヌイットの人々が作る作品に民芸としての価値を与えて、日用品などと交換できるようにと白人社会で運動した。作品制作という行為が人々の生活の糧となるような条件を作り上げたのだ。さらに、彼は奥さんとともに北極圏に移り住み、イヌイットの人々にさまざまな芸術作品制作のための技法や知識を教えた。

Column 1:イヌイットアートの世界-イメージ4
版画の技法は、浮世絵の伝統を持つ日本から海を渡ってイヌイットに伝えられたと知ると、特別な感慨がわく。

版画というイヌイット世界にはなかった手法を教えたのも彼らだった。そのために、ジェイムズは1958年春から1年間、浮世絵で世界に知られる日本に版画技法を学びにやって来た。師となってくれたのは、平塚運一氏だった。

Column 1:イヌイットアートの世界-イメージ5
ホッキョクグマは、その大きさと力強さと知恵と能力ゆえに、イヌイットに敬意と畏怖を持たれている。アーティストの魂をとりわけ刺激する。

ジェイムズとその妻アルマの情熱と努力のおかげで、イヌイット世界から数多くの芸術家たちが生まれ、世界的な評価を得るまでに育っていった。今や、イヌイットアートは海外の大きな美術館に所蔵され、北米のギャラリーでは高値で取引されている。

Column 1:イヌイットアートの世界-イメージ6
見ているだけで楽しくなる踊るフクロウ。生き物への愛情と 彫り手の魂が込められている。

ジェイムズもアルマも、もう亡くなってしまったが、二人の遺志は、息子のジョン・ヒューストン(1954年生まれ)に引き継がれている。ジョンはケープドーセットで育った。英語とイヌイット語を自在に操ることができる。

「私は4歳の頃から通訳として使われました。全人生を通じて、私は二つの文化の懸け橋となるべく努め続けています」と彼は言う。

アドベンチャーカナダのクルーズでは、ジョンはイヌイット文化を専門に講師を務める一方、イヌイットアートのプロモーションを続け、また映画も作っている。これまでに劇場上映された作品はドキュメンタリーを中心に6本あり、現代イヌイット社会の現実を描き、光を当てている。

コメントを残す