STORY

アルバータの物語

15. 小麦の塔

アルバータ州

州都・エドモントンのかつての姿を僕たちに伝えてくれる「フォート・エドモントン歴史公園」、そして「ウクライナ・ヘリテージ・ビレッジ」に話を戻したいと思う。

エドモントンに蒸気機関車=アイアンホースがやってきたのは1905年のことだ。「フォート・エドモントン歴史公園」の「1905 STREET」では、当時の光景がそのまま再現されている。

僕がそこで出会ったこの女性は、なぜかテントでひとり、読書をしていた。

話を聞くと、新天地・エドモントンにやって来たものの、移民ラッシュで住宅建設が間に合わず、家が完成するまでの間、家財道具一式とともにテント暮らしを余儀なくされているんだそうだ。どうぞ風邪など召されないように。

鉄道の開通によってたくさんの人が一度にどっとエドモントンに流れ込み、周囲の風景も急速に変化していったことだろう。

そして郊外にあるウクライナの人たちのもとにも、アイアンホースは同じようにやってきた。

「ウクライナ・ヘリテージ・ビレッジ」では、こんな可愛らしい当時の駅舎を見ることができる。駅が建設されると周辺には建物ができ、店も開かれるようになっていった。

しかし、エドモントンの中心部とは違い、ここではアイアンホースの到来によってもっと重要な施設が建設されることになる。それがこの高い塔のような建物だ。

単に「エレベーター」と呼ばれることもあるし、丁寧に「グレーンエレベーター」と言うこともある。

要するに、出荷する小麦などを集めて内部に貯蔵しておき、列車が来たらその小麦をコンテナに積み込むための施設だと考えればいい。この「小麦の塔」は、集落の経済を支える象徴のようなものだっただろう。

「ウクライナ・ヘリテージ・ビレッジ」に残されている木製のエレベーターは、収穫した小麦を自動車で運ぶようになった頃のものだ。

その自動車は軽トラックみたいなものだったんだろうと思う。小麦を積んだままエレベーター内部に乗り入れて、この写真のようなところで車を止める。

次にタイヤが乗った部分が斜めになり、後ろでは受け口の蓋が開かれ、満載してきた小麦がザザーっと流し込まれるという仕組みだ。

こうして農家が運んできた小麦はエレベーターでいったん貯蔵され、列車の到着を待つことになる。

列車のコンテナの内部は板張りになっていて、その壁には目盛りが記されている。

目盛りはコーンやライ麦と、小麦とでは少し違っている。同じ重さでも体積が異なるということだろう。

いずれにせよ、この目盛りまで流し込めばコンテナは満杯ということになる。あとは輸出先であるヨーロッパへと、鉄道で港まで運ばれることになる。

ウクライナの人たちの努力や生産技術の向上により、1901年から1914年の間にカナダの小麦生産量は4・5倍となり、輸出量も7倍に増えたそうだ。

さらに1914年に勃発した第一次世界大戦によって、ヨーロッパの食糧生産が減少したためだろう、カナダ産小麦の価格は一気に急騰する。

モントリオールの「カナダ鉄道博物館」で僕は、カナダ国有鉄道(CNR)の雑誌に掲載されたという古い絵の写真を撮っていた。

港の倉庫に大量の小麦を流し入れるCNRの帽子をかぶった男性。その小麦を積み込んだ貨物船がヨーロッパに向けて出港していく。

小麦輸出の景気の良さがストレートに伝わってくる絵だ。

ガリツィアに暮らすウクライナの人たちをカナダへと駆り立てた帝国どうしの争いが第一次世界大戦を引き起こし、その結果、彼らが育てた小麦の価格を上昇させたというのだから、なんとも皮肉な話だ。

ただし、歴史の皮肉はこれだけでは終わらない。

実はカナダも第一次世界大戦に参戦し、働き手を戦場に送り込んだため、小麦生産で忙しいプレーリーでも人手不足に陥り、増産のために急速な機械化が進められたそうだ。

大戦後、この機械化のための借金がウクライナの人をはじめ、プレーリーの農民たちを苦しめる事になったというのだから、これこそ歴史の皮肉としか言いようがない。

2016年はエドモントンにウクライナ移民がやってきてからちょうど125年にあたる。そしてここ、「ウクライナ・ヘリテージ・ビレッジ」では8月7日に記念イベントも行われる。

きっと明るく元気なウクライナの民族舞踏も披露されるだろう。あの「小麦の塔」も変わらずにそびえ立っているに違いない。

そんな光景を眺めながら、ウクライナの人たちと小麦にまつわるストーリーも少しだけ思い出してもらえたらと僕は思っている。

文・写真:平間俊行

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