超お手軽!! トーテムポール大紀行

03. 地殻の変動が巨木を育てた

お気に入りに追加
03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ1
スタンレーパークの米杉

トーテムポールの原木は、英語で「レッドシダー(red cedar)」と呼ばれる米杉(ベイスギ)。
日本の杉と同じくヒノキ科の樹木で、大きなものでは基部の周囲が8mに達する。

太く、長く、しかも、材質が柔らかい米杉は、トーテムポールを彫るのにもってこいだ。

スタンレーパークにも米杉が生えているので、その巨大さを実感することができる。

かつてカナダ西海岸の山々は、米杉をはじめ、モミ、トウヒなど、針葉樹の巨木にうっそうと覆われていた。伐採により「巨木」は減ったものの、大木の森は今もまだ残っている。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ2
山が海に迫る西海岸の地形

西海岸にユニークな巨木の森を育んだのは、雨が多く、しかも温暖な、この地方特有の気候だった。

その気候を生んだひとつの要因は、地殻の変動である。

北米西海岸では、太平洋プレートが、北アメリカプレートの下に沈み込み、その結果、地殻が押し上げられて、ロッキー山脈やコースト山脈が生まれた。

高い山々に太平洋の湿った空気がぶつかり、大量の雨が降る。場所によっては年間降水量が250cm以上に及ぶ。しかも、近くを暖流の日本海流(黒潮と同じ海流)が流れているので、冬の寒さもあまり厳しくない。

いわば、天地と海が力を合わせて、カナダ西海岸にトーテムポール製作になくてはならない巨木を育てたのである。

総ヒノキ作り 冬の家

トーテムポールだけでなく、家も、米杉で建てた。急ごしらえの丸太小屋のようなものではない。製材した板で壁や屋根をこしらえた、大きくて立派な建物だ。

この地方の先住民にとって、米杉は、建材としても理想的だった。彼らは、のこぎりなどの鉄器を持ってなかったが、米杉なら、鉄の道具を使わなくても、丸太から板を取ることができた。米杉の丸太は木目が真っすぐに通っているので、木製の楔(くさび)を打ち込んで割り裂けば、板に加工できたのだ。厚さ五~八センチの板を割り出し、石の刃のついた手斧(ちょうな)で磨いて、立派な厚板に仕上げたのである。

しかも、米杉の木材は、独特の香りを発する油を含んでいる。その油の有毒成分が、虫やコケ、菌などを防ぐので、雨の多い北太平洋岸の気候にも腐りにくい。

家屋は、丸太を立てて柱とし、柱の上に太い木を載せて梁(はり)となした。柱と梁の土台ができると、側面に厚板をはめ込んで壁を作り、屋根も板で葺いた。このようにして、釘一本使わずに建てた先住民の大きな家屋は、「ビッグハウス」、「ロングハウス」、「コミュニティーハウス」などと呼ばれる。そして、家の前には、墓とは異なる種類のトーテムポールを立てた。

なお、この立派な家も、使うのは冬だけ。春から秋までは、季節ごとに、海の幸・川の幸を求めて、各所に建てた簡易な小屋に移り住んだのである。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ7
UBC人類学博物館のハイダ村

バンクーバー市内にあるブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)人類学博物館では、ハイダ族の村の一部が再現され、家とトーテムポールをセットで見ることができる。

「チーフ・スケダンズ遺体安置ポール」を彫ったビル・リードが中心となって、1959年から3年がかりで造られたものだ。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ8

私が同博物館を訪ねた時、たまたま、ボランティアのガイドによるツアーが催された。

展示されている「ハイダの家」は、普段は鍵がかかっていているが、このときは、ツアーの一環として家の中に入ることができた。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ9

家の中はご覧の通り。建物は大抵そうだが、ここも、外観よりも中の方がずっと広く感じられる。

米杉はヒノキの仲間なので、いわば総ヒノキ造りの豪邸だ。心なしか、ほのかな木の香りが感じられた。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ10

窓はないが、屋根の中央が開いていて、日光が差し込んでいる。

本物のハイダの家では、床の真ん中に炉が設けられていて、天井の穴は、煙を排出する役目も果たす。屋内の柱にも彫刻が施されている。人物と比べると、その巨大さがよくわかる。

かつてハイダの家では、壁沿いに台座を設け、寝場所として使っていた。台座は、家族ごとに、ムシロや木箱などで区切られていた。こうした家屋に、20人から60人、大きな家になると100人近くが寝泊まりした。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ11
家の前に立つトーテムポールの基部。オオカミが彫られている(UBC人類学博物館)

階級社会に花開いたトーテムポール

ひとつの家に住むのは、同じ氏族に属する縁者たちだった。家長が「チーフ」、チーフの妻子や近親者が「貴族」、他の縁者は「平民」だ。

縁者以外の「奴隷」もいた。奴隷は、他の村から拉致された人たち(主に女性や子ども)、ないし、その子孫だった。

つまり、ハイダ族など、カナダ西海岸の先住民社会には、階級や貧富の差があったのだ。平民と奴隷は、漁や、大工仕事、彫刻などの仕事に従事した。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ14
クワクワカワクゥ族チーフの長女。ポトラッチの際のいでたち。彼女を支える像は、彼女の奴隷を象ったもの。

チーフや貴族はひたすら蓄財に励んだ。財産を構成するのは、干物・燻製・油漬けなど保存できる食べ物、毛皮、毛布、舟、奴隷など。

貯めこんだ財産は、「ポトラッチ」と呼ばれる宴会で大盤振る舞いして、使い果たした。ポトラッチは、結婚式や葬式、子どもが生まれた時や、成人した時、親の地位を受け継いだ時や、トーテムポールを立てた時など、人生の節目に催した。

なお、ポトラッチでの大盤振る舞いには、一部の人に集中した富を、他の人々に分け与える働きもあった。しかし、ヨーロッパ系の人々の目には、ただ財産を浪費する奇習としか映らなかった。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ15
ハイダ族のチーフと彼の家

10~40軒ほどの家が浜辺に並んで、「村」を作った。村のチーフの間には、「格」の違いのようなものがあったし、村全体に関わる問題が起こった場合など、各家のチーフが集まって話し合うこともあったが、家は、基本的にはそれぞれが独立した共同体だった。

ハイダ族の場合、1770年代の記録に基づくと、全部で約15,000人ほどの人たちが、大小30ほどの村に分かれて暮らしていた。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ16
クワクワカワクゥ族の冬の儀式(再現)

同じ村の中でも、一軒一軒の家は独立していたほどだから、当然ながら村はそれぞれ完全に独立していた。「ハイダ族」と言っても、ハイダ語を話し、風俗習慣が互いに似た人たちを大雑把にまとめて呼んだものに過ぎない。

ハイダ人同士には、「言葉の通じる仲間」という一体感があったろうし、特に、同じ氏族に属する者の間には、親戚としての同族意識があったが、ハイダ族全体を治める人や組織などは存在しなかったのだ。
これは、カナダ西海岸の他の部族についても同様だ。

03. 地殻の変動が巨木を育てた-イメージ17
冬の儀式で使われた仮面(UBC人類学博物館蔵)

もういちど、ハイダの家の中を見てみよう。壁に沿って寝場所を設けたとしても、中央にはかなり広い空間が残る。しかし、無駄に広いわけではない。そこでは、冬の間、仮面をかぶっての儀式などが執り行われるのだ。それぞれの「家」には、神話時代に遡る歴史や、独特の儀式が伝えられてきたのである。

家の外に立つトーテムポールには、そうした、一家の起源にかかわる物語や、氏族を表す家紋が彫りこまれ、その一家が、いかに由緒正しい名門であるかを誇示している。いわば、一家の表札兼広告塔なのだ。

文:横須賀孝弘

コメントを残す