超お手軽!! トーテムポール大紀行

05. サーモン資本主義

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さて、これまで見てきたように、家の周囲に立つトーテムポールが物語るのは、その一家の由緒来歴だった。

これをもう少し掘り下げて、そのさらに裏側に隠された物語を探ってみよう。世界にも稀な、トーテムポールというアートは、一体なぜ、カナダ西海岸を中核とする、限られた地域にだけ花開いたのだろうか? 

結論を言うと、そこには、巨木の森だけではない、世界にも稀なほどの、豊かな自然があったからだ。

自然の恵みを追い、狩りをしたり、木の実や芋・球根を採ったりして暮らす人たちは、普通、少人数が集まり、移動の多い生活を営む。狩りの獲物は広い地域に散らばっているし、木の実なども季節によって採れる場所が違うからだ。一カ所にとどまれないので、財産を蓄えることができず、大きな貧富の差もできにくい。

農業が始まると、事情が変わる。一カ所に大勢が集まり住めるようになり、また、農作物を蓄えることで、食べ物集めに追われなくてすむ時間ができる。つまり、農業によって、定住という生活スタイルと、余暇とが生まれ、複雑な文化が発達する。同時に、農業をベースにする社会では、ともすれば、貧富の差や階級が生まれる。

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ヌーチャヌルス族の漁師。銛でイルカやアザラシ、サケなどを捕った

ところが、カナダ西海岸を中核とする一帯では、こうした一般的な常識があてはまらなかった。

この地域は、山が海に迫って、土地が狭く、農業にはあまり向かない。
その代わり、豊穣な海の幸に恵まれている。
ニシン、シシャモ、タラ、オヒョウ、貝などの魚介類。クジラ、イルカ、アザラシなどの海獣類・・・。

特に大切なのが、サケ。日本にも多いシロザケの他、ギンザケ、ベニザケ、マスノスケ(キングサーモン)、カラフトマスの5種類が、5月から11月にかけて、次々に、生まれ故郷の川に戻ってくる。

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ギトクサン族のチーフ

ぼう大な量のサケを捕えて、干物や燻製にすれば、残りの季節を過ごすのに十分な食べ物が蓄えられた。そこで、冬は、一カ所に定住し、備蓄した物を食べて暮らすことができたのである。

あり余る富は、やがて、人々を「持つ者」と「持たざる者」に分けた。
有力者は、家屋のほか、魚網や舟など漁に欠かせない道具を所有し、漁場を使う権利も握った。

川の流れを堰き止めて、遡上するサケの群れを誘導する、大がかりな装置を作れば、サケを大量に捕えることができる。
そこで、こんなことも起こりうる。有力者は、まずは乾したサケを蓄え、その食糧で人々を食わせながら、大量捕獲装置を作らせる。そして、人々がその装置を使って捕ったサケの何割かを召しあげる・・・つまり、資本を蓄積し、投下し、利潤を得るわけだ。

北米の先住民の中で、この地の住人は、ある意味、最も資本主義的な人たちだった。お金ではなく、サケをベースにした、「サーモン資本主義」だ。

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セイリッシュ族のダンサー。西海岸ではサケなど豊かな自然の恵みにより独特の文化が花開いた

こうして、自然の恵みがとても豊かなこの地域では、農業を営まない社会としては例外的に、貴族や平民などの階級が生まれた。

また、少なくとも一年のある時期を、食べ物集めに追われることなく、大工仕事、カヌー作り、木彫などに没頭する、専門職も現われたのである。

一家の長は、木彫の名人に依頼し、一族を顕彰するためのトーテムポールを彫らせた。もちろんタダ働きではなく、報酬を払う。トーテムポールは、素材となる巨木があっただけでなく、専門職を巨木の加工に没頭させることのできる、経済的な余裕がある社会だからこそ、生まれたのである。

言い換えれば、トーテムポールは、サケに象徴される、カナダ西海岸を中核とする一帯の自然の、並はずれた豊かさをも物語っているのだ。

このように、トーテムポールが生まれたのは、食糧となるサケなどが豊富だったからだと考えられるが、実は、それは全体の話の半分でしかない。トーテムポールの発展には、食べてもあまり美味しくなさそうな、意外な動物が大きく貢献したのだ。水族館の人気者、ラッコである。この話は、また後ほど。

不死身のサケ

トーテムポール文化を支えたサケ。先住民は、サケは不死身だと考えていた。サケを捕らえ肉を食べてしまっても、後に残った骨をきちんと処理しさえすれば、サケはまたもとの姿に戻ると信じていたのだ。

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サケの燻製はBC州みやげの定番。先住民のデザインを施した箱入りのものも

その根拠は、いかに大量にサケを採っても、季節になれば、おびただしい数のサケが戻ってくるという事実だ。

川を遡るサケの中には、人やクマに捕まるものもいる。捕まらなかったものも、上流で死んでしまう。こんなことを繰り返せば、サケはいなくなるはずなのに、サケの数は減らない。
これは、きっと、死後に残ったサケの骨は海に下って、再びサケの姿にもどるからに違いないと考えた。
そして、サケが、わざわざ川にやってくるのは、人やクマに身を捧げるためなのだ…。

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実際には、サケが川を遡るのは産卵のためで、卵からかえった小魚はやがて海に下り、大きく育つと、産卵のために大挙して川に戻ってくるのだ。しかし、そういう知識は先住民にはなかった。サケの稚魚や幼魚は、成魚とは異なる姿なので、同じ種類の魚とは気づかなかったのだ。

他の動物と同じく、サケも、本当の姿は人間だと考えられた。海の底にはサケの種類ごとにギンザケの村やベニザケの村、カラフトマスの村などがあり、人間と変わらぬ暮らしを送っている。そして、春になるとカヌーに乗っていっせいに川へ旅立つ。そのカヌーが、地上の人間の目には、サケの形に見えるのである。

「サケ人間」を怒らせると、二度と川に来なくなるので、怒らせないよう細心の注意を払った。例えば、金属製の刃物でサケをさばくのは、サケを辱め、怒らせる行為だと考えられた。だから、調理には、鉄のナイフではなく、貝殻を使わないといけない。骨の処理については、必ず燃やすという部族もあれば、丸ごと海に戻す決まりの部族もあった。

サケだけではなく、あらゆる動物は、捕えて食べたあとの骨を適切に処理すれば、それぞれの動物の国に蘇ると考えたのである。これは、北太平洋岸の人たちに限らず、北米の他の地域でも、狩りや漁を営む人たちの間にはよく見られた(地域によっては今も見られる)考え方である。

文:横須賀孝弘

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