超お手軽!! トーテムポール大紀行

06. 動物の正体は人間 ニスガ族 ビーバー・クレスト・ポール

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06. 動物の正体は人間 ニスガ族 ビーバー・クレスト・ポール-イメージ1
ビーバー・クレスト・ポール

スタンレーパークには、「動物は、本当は人間なんだ」という考え方をモチーフにしたポールも立っている。ビーバー・クレスト・ポールだ。
ニスガ族のノーマン・テイト(1941- )の作品で、彼の家系がビーバーを家紋とするに至った出来事が彫られている。

ニスガ族は、BC州本土、アラスカと境を接する、ナス川流域に住む人たち。ビーバー・クレスト・ポールは、ニスガ族のトーテムポールの伝統に則り、彩色は一切施されていない。クワクワカワクゥ族のけばけばしいポールとは対照的だ。

06. 動物の正体は人間 ニスガ族 ビーバー・クレスト・ポール-イメージ2
(左)頭と尾はビーバー。四肢は人間 (右)ビーバー

彫られている像を見ると、頭の形は動物を想わせる。鱗の生えた杓文字(しゃもじ)のような尾は、ビーバーの特徴だ。ところが、四肢は人間。いわば「ビーバー人間」なのだ。

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ビーバーの皮を脱いで人間の姿に

ポールの基部の像は、ビーバーの皮を脱いで、完全に人間の姿となっている。テイトの祖先は、ビーバーたちが人間に化身する現場を目撃し、その出来事から、ビーバーを家紋にするようになったという。

ハイダ族のポールで見たように、「動物の正体は人間だ」という考え方は、他のポールにも表現されている。しかし、その考え方を、物語にして表しているところが、ビーバー・クレスト・ポールの特徴だ。
ビーバー・クレスト・ポールは、新しいポールである。ハイダ族のチーフ・スケダンズのポールや、クワクワカワクゥ族のワカスポールは、もともと19世紀に立てられたポールを20世紀になって復刻したの複製(レプリカ)だったが、このビーバー・クレスト・ポールは、1986年のバンクーバー万博およびバンクーバー市制100周年を記念して、新たに彫られた、オリジナル作品だ。

このポールのように、非先住民の依頼により彫られた、比較的新しいポールには、ストーリー性のあるものが目立つ。逆に、19世紀に彫られたポールには、家紋そのものが彫りこまれていることが多い。トーテムポールの意匠にも、流行や、時代による移り変わりがあるのだ。

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サンダーバード・ハウス・ポスト(複製)

原初の形 ハウスポスト

では、時代を遡り、うんと古い時代のトーテムポールは、一体どんな様子だったのだろうか? 

スタンレーパークには、原初のトーテムポールを偲ばせるポールも立っている。8本の中の、右から3番目、「サンダーバード・ハウスポスト」と呼ばれるポールだ。
高さは3m。8本の中で最も低い。

このポールは、「家の柱(ハウスポスト)」と呼ばれる通り、もともと、先住民の家屋の柱として使われていた。

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ハウスポスト型ポールの使い方

ハウスポスト型ポールは、2柱が一対となり、頭のてっぺんに梁(はり)を載せて、支えたのである。彫刻は、家の内側に面した部分に施された。

初期のトーテムポールは、サンダーバード・ハウスポストのように、丈が低く、家屋の一部をなし、彫刻は、家の内側に施されていたと考えられている。

なお、スタンレーパークに展示されている「サンダーバード・ハウスポスト」はレプリカで、その元になったのは、クワクワカワクゥ族のチャーリー・ジェイムズ(1867-1938)が20世紀初頭に彫ったポールである。

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ジョン・ウェバーが描いた先住民の家の中。柱に彫刻が施されている

1778年、ジェームズ・クックの探検隊が、ヨーロッパ人としては初めて、現在のBC州沿岸に足を踏み入れ、先住民の家に招かれた。

その時、探検に参加した画家、ジョン・ウェバーが、家の中の柱に施された、驚くような彫刻に目を奪われ、絵に描いた。

ウェバーの絵とクックの記述は、北太平洋岸先住民の彫刻を施したポールについて、外の世界の人たちによる初めての記録となった。もし、家の前に長大なポールが立っていたら、とても目立つので、それについても言及されているはずだが、探検隊の記録には、そのようなポールに関する記述や絵はない。

このことからわかるように、BC州の先住民には、ヨーロッパ人と接触する前から、柱に彫刻を施す風習があった。ただ、当時の彼らは、鉄器を持ってなかったので、彫刻には、主に、黒曜石などから作った石器や貝殻を用いるしかなかった。

もっとも、日本や中国の難破船から流れ着いたマストなどにくっついていた鉄を利用することはあったが、その量は限られていたと考えられる。そういう状況では、長大なポールに精巧な像を刻むのは、むつかしかったのだ。

文:横須賀孝弘

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