ブッシュプレーン

02. 「The North」の森の扉を開く街

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スー・セント・マリーとブッシュプレーンが結びついたのは、第二次世界大戦後のこと。カナダについて調べると、多くの事実が折り重なっていることに気づくが多いが、この街の由来を調べていくと、やはり数々の歴史に彩られていた。

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五大湖の接続部分に位置しているこの街は、森と湖に囲まれている。今から1万数千年以上前、巨大なアイスシートと呼ばれる氷原の際(きわ)に位置したこの街の地質は、氷河の浸食作用でできた複雑な地形の中で誕生した。当時、ベーリング海峡を渡って北米大陸にやってきた最初の人類は、独自の文化を形作りながら、徒歩で数千年かけてカナダ中央部の草原地帯を大西洋方面へ移動していった。自然豊かなスペリオール湖周辺では、年代がかなり古い遺跡が発見されている。彼らが東部カナダへと抜ける通路の一つが、ここにもあったようだ。

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17世紀の初頭にヨーロッパ人による北米の植民地化が始まると、東部カナダはビーバーや鉱物資源を探しにクリュー・デ・ボア(Coureur des bois=森を駆ける者)と呼ばれる人々により盛んに探索が行われた。サミュエル・ド・シャンプランの右腕だったエティエンヌ・ブルーレはその一人で、徒歩とカヌーでセントローレンス川から奥深く続くカナダ先住民族が住む森を進みスペリオール湖にまで到達した最初のヨーロッパ人だった。彼はその旅の途中ここに立ち寄っている。カナダがまだニューフランスと呼ばれていた時代だ。そのこともあり、フランス風の Sault Sainte Marie が街の名前となった。

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第二次世界大戦開戦直後に運河を守るために防空圏が設定されると、アメリカとカナダの両国空軍がこの街を守った時期があった。戦後に空軍の退役軍人が住み、なかでもパイロットの多くがブッシュプレーンを操縦することになったため、この飛行機とゆかりのある街となり、森を守る政府の飛行隊が置かれた。加えてカナダで初めての女性宇宙飛行士としてスペースシャトルに乗った、この街出身のロベルタ・ボンダー(Roberta Bondar)によって、飛行機とこの街は深く結び付けられていった。

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カナダで初めてNBAオールスター・ゲームがトロントで行われたことは記憶に新しい。地元トロント・ラプターズの応援キャッチフレーズ「WE THE NORTH」が全世界に放映されたことは、ことのほか印象的だった。実は「The North」という言葉は20世紀初頭に活躍したグループ・オブ・セブンがカナダを語る時のキーワードとして好んで使った言葉だった。フランスと北欧の印象派に影響を受けながら、独自の感性と画風で「カナダとは何か」を模索していた芸術家集団が向き合ったのは、オンタリオの森「The North」だった。彼らはこの街から貨車を借り切り画材を積み込み、アルゴマの森の奥深くへと何度もスケッチ旅行を行った。

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カナダ出身の天才的ピアノ演奏家として名高いグレン・グールドもまた「The North」の森に魅せられた一人だった。1967年に製作したラジオドキュメンタリー「The Solitude Trilogy」の第一部「The Idea of North」は、オンタリオ州北部をテーマにしたものだった。彼自身逗留(とうりゅう)することを好んだワワの街は、スー・セント・マリーからスペリオール湖沿いにトランスカナダ・ハイウェイを2時間ほどクルマで走った先にある。この森が示す厳粛な風景は、彼の表現者としてのアイデンティティーと深く結びついていたのは有名な話だ。

スー・セント・マリーから出発するアルゴマ鉄道は、美しい風景を楽しめると多くの人に愛され、毎年秋には有志主催のグループ・オブ・セブン列車(Group Of Seven and Glenn Gould Train)が走る。この街はカナダの森として著名な芸術家が足繁く訪れた「The North」の玄関口として、またブッシュプレーンのパイロットたちが住む、ユニークな街だった。

文・写真:Makoto Hirata

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