探訪!西部カナダの戦国時代

04. 毛皮交易を支えた「ボヤジャー」

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ハドソン湾会社の協力なライバル、北西会社が生まれる頃には、奥地に旅をして毛皮を集めていた独立自営の毛皮交易商人、クルール・ドゥ・ボワは、姿を消していた。
フランスのカナダ植民地、ヌーベル・フランスでは、もともと毛皮交易は免許制で、許された商人だけが参加できることになっていた。

1681年にその規制が厳しくなり、免許を持たないクルール・ドゥ・ボワは、無法者として締め出されていったのだ。

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ボヤジャーが漕ぐカヌー。 フランセス・アン・ホプキンス画

代わって現われた人たちこそ、フェスティバル・ドゥ・ボヤジャーのテーマ、「ボヤジャー(voyageur)」だった。

ボヤジャーは「旅人」を意味するフランス語だが、カナダの歴史では、「免許を持つ商人と契約を交わし、毛皮交易に従事した労働者」を指す。

ボヤジャーの多くはフランス系の人たち。その仕事は、奥地の交易拠点まで、カヌーを漕いで商品を運んだり、逆に、商品と交換に先住民から得た毛皮を東部へ運んだりすることだった。

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交易商品。ロワー・フォート・ゲリーの展示

ボヤジャーが使ったカヌーは、大きなものでは長さが12m。6~8人が乗り組み、4トンもの荷物を運んだ。

荷物の全重量のざっと半分は、毛皮と交換するための商品だった。毛布・生地・服・鉄砲・弾薬・ナイフや斧・鍋・タバコ・装身具など。

残りの半分は、乗組員の食料など旅に必要な品々だ。

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積み荷のあり様を示すジブラルタル砦の展示

積み荷は、四角い形に荷造りし、ひとつの梱が90ポンド(40キロ)になるよう調整した。

川や湖など水路を利用できる間はカヌーを使い、水路が途切れたり、早瀬や滝に出会ったりすると、上陸して、次の水路までカヌーと積み荷を担いで運んだ。

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荷物の運び方

荷物は、普通、一度では運びきれず、水路と水路の間を何度も往復しなければならなかった。この陸路運搬はポーテージ(portage, フランス語読みではポルタージュ)と呼ばれた。

1個40キロの荷物を、一人一度に1個から3個(何個運ぶかは契約で決まっていた)担いで、道なき道を何往復もするのだから、大変な骨折り仕事だ。

ちなみに、ウィニペグの繁華街で一番賑やかな通りは「ポーテージ大通り(Portage avenue)」と名付けられている。

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交易カヌーを漕ぐボヤジャー。フランセス・アン・ホプキンスの絵の一部

北西会社は、経営陣や管理職の多くはスコットランド系の人たちだったが、交易の最前線で働いたのは、フランス系の人たちで構成されるボヤジャーだった。

つまり、この会社は、「フランス系の会社」とはいえないけれども、「フランス系の人たちの会社」だったわけである。

その北西会社が、フォークスに築いた拠点が、「フェスティバル・ドゥ・ボヤジャー」の会場にあった「ジブラルタル砦」だったのだ。

plus

サッシュ Sash
ショッピングもフェスティバル・ドゥ・ボヤジャーの楽しみのひとつ。モカシン靴からフクロウの頭骨の模型まで、様々なモノを売っていた。
特に目を引いたのが、色鮮やかなサッシュ。カポートを着る時などに腰に巻く飾り帯だ。ボヤジャーや、後に述べる「メティ」の人たちも愛用した、彼らの代表的な服飾文化なのだ。

装飾と実用を兼ねた衣類が目立つ
彩り豊かなサッシュ
文・写真:横須賀孝弘

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