探訪!西部カナダの戦国時代

06. 新民族「メティ」の誕生

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06. 新民族「メティ」の誕生-イメージ1

ジブラルタル砦からレッド川を隔てた所に、「マニトバの人と自然の関わり方」をテーマとするマニトバ博物館がある。

展示室に入って、まず目に飛び込んできたのは、野牛狩りのシーンだ。

鉢巻きを締めた男性が馬に跨って野牛を追う姿を再現している。
野牛の剥製も使った、大迫力のジオラマである。

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男性の長髪や顔立ちから、西部劇で見た「インディアンのバッファロー狩り」を想わせる。

けれども、ジオラマのタイトルは「メティのバッファロー狩り」。インディアンとは違う。

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メティの女性。ポール・ケーン画

交易のため、先住民の間に入り込んでいったボヤジャーには、先住民の女性と結婚する人が少なくなかった。

ボヤジャーの多くはフランス系。
お相手の女性は主にクリー族かオジブワ族(アニシナベ族)だった。

そんな二人の間に生まれた子どもが、メティだ。

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メティの男性。ポール・ケーン画

メティは、父親と同じボヤジャーになったり、二輪の荷馬車「レッドリバー・カート」を使っての運送業に就いたりした。

やがて、メティの人たちは、ウィニペグ周辺、前の章で触れたフレンチ・クォーターの辺りに住みつくようになった。

集落のメティ同士が結婚して人口が増え、メティは地域の一大勢力に成長。レッド川のほとりには、ウィニペグの他にも、メティの集落がいくつか生まれた。

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マニトバ州の広大な農地

レッド川周辺は、今は農地だが、かつては大草原が広がり、北米の野牛、アメリカバイソン(「バッファロー」とも呼ばれる)が群れをなして住んでいた。

メティは、毎年夏と秋に、大集団で草原に繰り出し、野牛を狩った。

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野牛を追って旅を続けるメティの集団。ポール・ケーン画

メティの人たちにとって、野牛狩りは大イベントだった。

最盛期の記録では、1600人以上が参加。定住地を出て、2ヶ月ほどあちらこちらで狩りを行い、推定重量約500トンに及ぶ肉を持ち帰ったという。

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勇壮なメティの野牛狩り。ポール・ケーン画

参加した人のうち、成人男性は600人あまりで、千人弱が女性と子どもたちだった。男が捕えた獲物を、女がすぐにさばいて、皮や肉を得たのだ。

馬に跨った狩人のグループが、横一列になって野牛の群れにそっと近づき、リーダーの合図とともに一斉に襲いかかるのが、彼らの野牛狩りのやりかただ。

野牛は不用意に驚かすと大暴走を始める。誰か一人が、リーダーの合図を待たず勝手に先走ったりすると、狩りは台無しになってしまう。そこで、狩りを成功させるために、彼らの間には鉄の規律があった。

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メティの旗を掲げるメティの人。マニトバ州チャーチル

また、数百人から1000人以上もの人々が、野牛を追って長旅をつづけるにあたって、自治のための組織も生まれた。

野牛狩りを通して、メティの絆が強まり、クリー族やオジブワ族とも、白人とも違う、ひとつの民族としての意識が育っていったのである。

狩りで得た野牛の肉は、その場で食べるほか、干し肉や、保存食のペミカンに加工して、冬に備えたり、交易会社の拠点に持ち込んで商品と交換したりした。

ペミカンを作るには、干し肉をカリカリに炙って、粉々に砕き、野牛の革で作った枕カバーのような袋に半分ほど詰める。そこへ、熱で溶かした野牛の脂を注ぎこみ、干したベリーを7kgほど加えて、よくかき混ぜる。後は、袋の口を縫い合わせ、脂で封じて出来上がり。
一袋の重さは40kgぐらい。厚さ15cmほどの平らな形に整えると、積んで保存するのにも、持ち運ぶのにも便利だった。

ペミカンは、栄養豊富で、しかも長期間保存できる。50年前に作られたペミカンを食べても大丈夫だったという記録もある。
ボヤジャーは一人一日当たり約700gのペミカンを支給された。ペミカンは、そのまま食べたり、スープにしたり、薄く切って小麦粉をまぶして揚げたりした。

19世紀の初め、レッド川流域で、このペミカンを原因とする「ペミカン戦争」が勃発。発端は、スコットランドの羊だった。

plus

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レッドリバー・カート

レッドリバー・カート Red River Cart
サッシュと並んでメティの文化を代表するのが、レッドリバー・カート。野牛を求めての遠征に生活用具を運ぶにも、また、狩りで得た肉や皮を持ち帰るにも、なくてはならない荷馬車だった。

レッドリバー・カートは、釘を全く使わずに作られた。また、車軸には油を差さなかったので、動かすと、車輪と車軸が軋んで物凄い音を立てた。

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ポーテージ大通り

ウィニペグで一番にぎやかな「ポーテージ大通り」は、もともと西へ向かうレッドリバー・カートがつけた道だった。

かつてのメティの旅では、3台から20台ものカートが横に並んで移動したため、このような、とても広い道が生まれたのだと言う。

文・写真:横須賀孝弘

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