探訪!西部カナダの戦国時代

08. マニトバ 砦めぐり

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ジブラルタル砦のほかにも、マニトバ州には、毛皮交易時代を偲ばせる史跡があちこちにある。そんな史跡のいくつかに行ってみた。

プリンス・オブ・ウェールズ砦(チャーチル)
ハドソン湾岸のチャーチルは、秋に多数のホッキョクグマ(シロクマ)が集まることで世界的に有名だが、もともとは、18世紀に設けられたハドソン湾会社の拠点だった。

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プリンス・オブ・ウェールズ砦。手前はシロイルカ

8月、無数のシロイルカがやってくる時期に、フォート・プリンス・オブ・ウェールズを訪ねた。

この砦は、ハドソン湾会社が、毛皮交易の権益を守るため、チャーチル川の河口に設けた要塞だった。建築は1731年に始まり、38年間続いた。

チャーチルの町の川向こうにあり、砦に行くには小船にのって川を渡る。

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この砦跡は、国定史跡としてカナダ公園局の管轄下にある。砦へのツアーには、公園局の職員が付き添ってくれた。

ホッキョクグマが出没するとあって、職員は万一に備えて銃を携え、クマを警戒しながら、私たちを案内した。

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砦の入り口。防壁は石灰岩でできている。高さ6m、基部の厚さは10mもある。

42門の大砲を備え、難攻不落の砦…のはずだったが、1782年、アメリカ独立戦争で英国と対立していたフランスの軍艦3隻が迫ると、一発の砲弾も撃つことなく降伏した。

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砦には石造りの遺構があったが、建物は残っていない。

砦を占拠したフランス軍は、建物に火を放ち、火薬庫を爆発させ、38年かかって造った砦を、たった1日で壊してしまった。

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ハドソン湾に向かって据えられた模造の大砲が、当時を偲ばせる。

42門の大砲も、使える軍人がいなかったので、ただのお飾り。軍艦3隻に迫られたら、無条件降伏しか術はなかった。何とも間抜けな話だ。

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アークティック・トレーディング・カンパニー(チャーチル)
チャーチルの町の一角に建つアークティック・トレーディング・カンパニーも訪ねた。

民間のギフトショップで、「史跡」でも何でもないが、かつての交易所(トレーディング・ポスト)を想わせる雰囲気があった。

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店内には、先住民の工芸品がズラリ。先住民の工芸家が使う材料も扱っていたり、先住民と思しき人が訪ねて来たりと、「現代に活きる交易所」といった感じだ。

もっとも、ここを訪ねた日本の女性は、「アヤしいみやげ物屋」なんて呼んでいたが・・・。

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ロワー・フォート・ゲリー(セルカーク)
ペミカン戦争の結果、北西会社を吸収し、競争相手のいなくなったハドソン湾会社は、その後、かなり強引な合理化を推し進めた。合併当時2000人以上いた社員は、5年後には700人以下に。採算の合わない交易拠点を廃止し、先住民の毛皮も買い叩いた。ハドソン湾会社の勢いは盛んになったが、労働者や先住民は割を食ったわけだ。

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1848年頃のロワー・フォート・ゲリー。H.J.ワレ画

ハドソン湾会社の本拠地はウィニペグに置かれ、フォート・ゲリーと呼ばれていたが、1826年に水害で壊れてしまった。

そこで、1830年、レッド川の下流、元のフォート・ゲリーから約30km北に、新たな拠点、ロワー・フォート・ゲリーが設けられた。今もその建物の大部分が残り、国定史跡に指定されている。

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びっくりするほど広いロワー・フォート・ゲリー。

ウィニペグから北へ車で20分ほど。ロワー・フォート・ゲリーが見えてくる。

この史跡は、ウィニペグの隣町、セルカークにある。レッドリバー植民地を創ったセルカーク伯にちなんで名づけられた町だ。

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ジブラルタル砦と同じように、コスプレのスタッフが、歴史をわかりやすく説明してくれた。写真の後ろに見える建物は、ハドソン湾会社の総督や士官の住居で、「ビッグハウス」と呼ばれる。
合併後に総督を務めたジョージ・シンプソンは、強引な手法で会社を発展させた。写真の右側の人物は、そのシンプソン役のスタッフだ。

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ビジターにも簡単なコスチュームが貸し出され、コスプレに参加する。役割を演じることで、歴史を体感できる仕組みだ(左)。
私が扮したのは先住民の交易商「穴熊ウィリアム」(右)。渡されたプロフィールによると、年収は現代の貨幣価値換算でたったの$539だが、狩りや畑作も行うので、暮らしには困らない。

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ビッグハウスで「総督の奥様」がピアノ演奏を披露(左)。台所では「メイドさん」が床掃除(右)。

窓からの光が柔らかいこともあって、まるでフェルメールの絵のような光景だった。

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ロワー・フォート・ゲリーには、倉庫、商店、事務所、労働者の宿泊施設など、さまざまな施設が設けられていた。

商店には、先住民や農家を相手に商う品々がズラリ。

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「倉庫に蓄えられた商品」の展示に、意外な日本とのつながりを発見した。
コンゴ―(Congou 工夫紅茶)とは中国産のお茶だが、ラベルをよく見ると「ヨコハマ・ジョン・ドンケン商會」の文字が。横浜経由で運ばれた?それとも、ただのデタラメ?

こちらは、日本茶(JAPAN TEA)の梱。カナダ先住民の間に、「日本茶ブーム」があった!?
屋根裏の毛皮貯蓄室

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「白いタカ」表紙

ダグラス砦跡地(ウィニペグ)
ウィニペグに行ったら、是非訪ねてみたい場所があった。ダグラス砦の跡地だ。

少年時代に、「白いタカ」という歴史小説を読み、大きな影響を受けた。ケンタッキー開拓地の少年がショーニー族にさらわれ、波乱の運命をたどって、チペワ族(オジブワ族)の戦士として成長する物語で、ダグラス砦は、その小説の主な舞台のひとつだった。

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観光案内の本や地図を調べたが、「ダグラス砦」を思わせる地名は見つからなかった。

グーグル・マップでようやく「ダグラス砦公園(Fort Douglas Park)」というのを見つけ、訪ねてみることに。

フォークスからレッド川沿いの遊歩道をたどっていけば行きつくようだ。

ダグラス砦は、セルカーク伯の本名、トマス・ダグラスから名付けられ、レッド川植民地への入植者の拠り所として、1815年に建てられた。

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グーグル・マップを頼りに訪ねたダグラス砦公園は、住宅地にあった。

道路とレッド川に挟まれた、小さな緑地で、拍子抜けするほどありきたりの公園だった。

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ダグラス砦公園は、「再現版ジブラルタル砦」の真向かいに位置している。

訪れる人もほとんどなく、静まり返っていたが、そのお陰で、愛読書の舞台を独り占めできた。

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ダグラス砦公園の顕彰碑。囲みは部分アップ

公園を散策していて、銅板に文字を刻んだ碑に出会った。レッド川植民地を建設したセルカーク伯とスコットランドからの入植者を顕彰する碑だ。

入植者を飢えから救い、助けた、地元の先住民への感謝の言葉もあった。

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再現された入植者の小屋の中。マニトバ博物館

レッド川の入植者は、大変な苦労を舐めた。スコットランドを出て大西洋を渡り、ハドソン湾を越え、川や湖を伝い、一年以上かかってようやくレッド川にたどり着くのだが、着いた頃には、種まきには遅く、次の春まで、厳しい冬を何とか凌がねばならなかった。

開拓地は、霜や雹、干ばつ、レッド川の氾濫、周期的に起こるイナゴの大発生など、災厄に継ぐ災厄に見舞われた。

「来年こそは!」と望みを託すのだが、来た年は去った年よりさらに悪かったりした…と、マニトバ博物館は伝えている。

それでも彼らは、来る年も来る年もマニトバの大地に挑んだ。
そんな入植者たちの辛苦を礎(いしずえ)に、農業州マニトバは誕生したのだ。

ウィニペグの人にすら知られていない、ダグラス砦公園。忘れ去られたような、レッド川入植者の歴史。けれども、ひっそりと建つ顕彰碑を見て、入植者の苦労は決して忘れられてはいないんだなあ、なんて、しみじみ。

毛皮交易の時代を巡って訪ねたどの史跡にも増して、感慨の深かった、ダグラス砦公園だった。

文・写真:横須賀孝弘

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