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17. 歴史の物語と恥を知る人たち

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トーテムポールについて語るにあたり、最初に「言い訳」をしておきたい。バンクーバーで取材をし、本を読み、博物館にも足を運んだけれど、僕はしょせん素人にすぎない、ということだ。

しっかり勉強したい方には、横須賀孝弘さんがカナダ・シアターに書いておられる「超お手軽!! トーテムポール大紀行」をお勧めしておきたい。

僕の原稿は、素人として気づいたことや感想をお伝えするだけだけれど、それによってみなさんのバンクーバーの旅がより楽しくなるのであれば、これ以上の喜びはない。

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さて、僕がなるほどなあ、と感じさせられたのは、トーテムポールは必ずしも独立して1本だけで立っているわけではない、ということだ。本当に素人的な感想で申し訳ない。

最初の写真はブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)にある、厚い板で作られた先住民の住居だ。トーテムポールは正面の中央、家の一部として建てられている。

次のカラフルなポールの写真はバンクーバーのスタンレー・パークで撮ったものだけれど、本来は2本でワンセット、そして家の中にある柱なんだそうだ。

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その横にあった解説パネルの白黒写真がこれだ。確かに2本の巨大なポールが柱として、これまた巨大な家屋をしっかり支えている。

トーテムポールを大別すると、こんなふうに分けることができるそうだ。

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■付属柱
(1)家柱…House Post。屋内の柱。
(2)家屋柱…House Frontal Pole。家の正面にあり、家屋と一体となっている。基部の穴が入口になっている入口柱=Entrance Poleも家屋柱に含まれる。

■独立柱
(1)記念柱…Memorial Pole。亡くなった族長や位の高い人、特筆すべき出来事などを記念して建てられる。
(2)墓柱…Mortuary Pole。族長らの墓として建てられる。
(3)その他

この大きなポールの写真は、昔スタンレー・パークにあった入口柱で、保存のため首都オタワのカナダ文明博物館に移設された。後ろの白い板が住居を模していて、巨大な鳥のくちばしの下の穴から中に入ることができる。

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スタンレー・パークには同じポールがあるけれど、それは、オタワに移設する際に作られたレプリカだ。

そしてこの何とも異様なポールは、独立柱の墓柱。四角い板の真ん中に丸い顔。本来はそのうしろに箱だか空間だかがあって、亡くなった人の骨を入れておくのだそうだ。

このようにトーテムポールにはいろいろな種類があるけれど、共通しているのは彫刻を通し、あるメッセージを伝えている、ということだ。

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彫刻に登場するのはサンダーバード(カミナリ鳥)、クマ、シロイワヤギ、ビーバー、ワタリガラス、カエル、シャチ、サーモン、人間、などなど。実在と伝説が入り混じっている。

例えばこのポール、伝説の鳥の下にいる人は「Red Ceder-bark Man」という一族の祖先だ。洪水の時にカヌーを授け、一族を助けてくれたのだという。だからカヌーを手にしているのだ。

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あるいはさっきのお墓のポールの中には、よく見ると小さな人間が2人、ちょこんと顔をのぞかせている。

これは亡くなった族長の娘婿夫婦だ。つまり父の功績を伝えるためポールをつくった本人だけれど、脇役としてちょっとだけ登場する映画監督みたいだ。

つまり、トーテムポールは単なるオブジェや芸術ではなく、新しく家を建てたここの主はこんな出自だとか、亡くなった族長はこんな功績があったとか、そんなメッセージを伝えるために彫刻師を雇い、莫大なお金と労力をかけて作られるものなのだ。

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そしてトーテムポールを建てるときは必ず「ポトラッチ」なる大宴会を催し、お客を呼び、ポールを建てた理由を説明し、その証人になってもらう。食べられるはずもないほど大量の料理を用意し、高価なお土産を持たせる。そして招かれた方は、自分がポトラッチを開く時には、必ず招待し返すのが絶対のルールだった。

さて、ここでいきなり「太陽の塔」である。1970年に大阪で開催された万国博覧会。その会場跡地に「国立民俗学博物館」という施設があり、本物のトーテムポールが展示されている。

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このポール、民俗学博物館のオープンに際し、バンクーバーで先住民アーティストたちに制作したもらったものだけれど、実は完成までにはとんでもない秘話が隠されている。

アーティストらに発注して2カ月、作業の様子を確認してみるとまだ着手すらしていない。近代欧米文明における「契約」と、先住民文化のギャップが生み出した悲劇なんだろう。

一計を案じ、アーティストを招いてレストランで“ポトラッチ”を開催することにした。もうすぐ帰国なのでポトラッチのお返しは完成したポールで結構だが、もし間に合わなければ博物館には、誰々に発注したが間に合わなかった、と掲示するから、と告げたんだそうだ。

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ポトラッチに招かれてお返しをしないことは耐え難い恥だ。先住民アーティストたちは目の色を変え、突貫工事でポールを完成させたのだという。

ポトラッチによる浪費という文化はまったく理解できないけれど、借りは必ず返す、という点では僕らより先住民の人たちの方がよほど立派だ。何をしてやっても返してくれないヤツって、結構多いからなあ。

文・写真:平間俊行

コメント

  • sam

     初めまして。昨年大学で北西海岸インディアンの歴史と現在を少し研究していました。なので一連のシリーズの中でもこの投稿に非常に興味が惹かれました。
     トーテムポールを語るうえで外せないのが欧米社会からの影響だと思います。
     この地域の文化の最盛期は19世紀でした。というのも、この頃からビーバーの毛皮を求めヨーロッパから多くの人が渡ってきたのです。すると、次にお話で平間さんも少し触れていたように鉄器を以前よりも使えるようになりました。また、毛皮交易から得た富をトーテムポール造りに使うこともできました。さらに、はしかなどの伝染病がヨーロッパから持ち込まれてしまい、先住民の人々は耐性がなかったため人口が激減します。すると、それまでは埋まっていた社会階層の上部に空席ができるようになります。そこで新たに手に入れた「鉄」と「富」を使って、自らの部族や家集団の権威を示すために、我先にと競い合うかのようにトーテムポールなどを造り出すようになったのです。こうして北西海岸の先住民文化は最盛期を迎えることになりました。
     ただそれも長くは続かず、20世紀初頭になると衰退していきます。先述した伝染病による人口の激減に加え、キリスト教による布教活動やアメリカ・カナダ政府による同化政策によって先住民文化は撲滅されていってしまいました。
     その後、20世紀後半以降は、世界的な先住民文化への理解や彼らによるアート活動によって、保護されたり推奨されるようになりました。
     このトーテムポールたちは、人々が自分たちとは違う文化に対面したときにどのように反応してきたのか。そして過去だけでなく、今を生きる僕たちも「異文化」というものに触れたときにどのように向き合っていくべきなのか考えさせる貴重な存在だと思います。
     課題のために紙やネットを使って調べただけなので、平間さんの記事を参考にして、カナダを発つ前にトーテムポールをこの目で観に行こうと思います。
     
     

  • chomo

    これを読んで、日本で本物のトーテムポールが見てみたいと思い、国立民族学博物館に行ってみたくなりました。
    国立民俗学博物館ではなく国立民族学博物館ですね。

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