11. ヌーヴェル・フランスの終焉=「ビーバーの謎」3=
セントローセンス川を見下ろすようにして立つホテル・シャトーフロンテナック

カナダの歴史を謎解く旅11. ヌーヴェル・フランスの終焉=「ビーバーの謎」3=

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毛皮交易人=ファー・トレーダーたちは赤い帽子をかぶり、先住民のトラッパーを訪ねて回った。彼らは生臭いカリブーの血まで飲んだりしながら先住民との関係を構築していったんだ。ただただ、帽子となって富をもたらしてくれるビーバーの毛皮を手に入れるために。

ただし、自らトラッパーのもとに足を運んだのはフランス人であって、同じようにビーバーの毛皮を求めて海を渡ったイギリス人たちは、実は拠点にこもって先住民が毛皮を持ち込んで来るのを待っていたそうだ。

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カナダという国を地図で見ると、右上から丸くえぐられた大きな湾があるのが分かる。それが「ハドソン湾」だ。この名前を聞いてホッキョクグマを思い浮かべる人もいると思う。

湾に面した都市の中で有名なのが、マニトバ州のチャーチル。「ポーラーベア(ホッキョクグマ)の都」とも呼ばれ、ツンドラバギーという特殊な車両に乗り、極北に住むこの白いクマを見に行くことができる人気の観光スポットだ。

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さて、僕がケベックにやってくる途中、トロント空港で見かけたビーバーと赤いカエデの模様のマフラーも、この写真の赤・白・黒のミトンも、「ハドソン・ベイ」という会社の商品だ。

2010年のバンクーバー五輪の際、カナダの人たちがつけていた真っ赤なミトンを覚えていないだろうか。あのミトンの「後継」商品として、2014年のソチ五輪に合わせて作られたのが、この写真のミトンなんだ。

「ハドソン・ベイ」という会社は今、カナダの各都市で「ザ・ベイ」というデパートを経営している。カナダに行ったことがある人なら、たぶんどこかで一度ぐらいは見かけているんじゃないだろうか。

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さて、結論を言ってしまおうと思う。デパート・チェーンの「ハドソン・ベイ」は、かつてイギリスがビーバーの毛皮を手に入れるために設立した「ハドソン湾会社」。そして、大西洋からハドソン湾に入り、沿岸部に設置した毛皮交易の拠点の1つがチャーチルだ。

街の名前の由来は、「ハドソン湾会社」の当時の総裁が「チャーチル卿」だったことによる。だから、街の名前だけでなく、そこを流れていた川もチャーチル川と命名された。

イギリス、そしてチャーチルと聞くと、世界史の教科書に登場する第二次世界大戦時のイギリス首相、ウィンストン・チャーチルを思い浮かべる人もいるかもしれない。

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実はそれは正解なんだ。僕らが知っているチャーチルは、「ハドソン湾会社」総裁、チャーチル卿の9代目の子孫だ。

そんなハドソン湾会社は当時、毛皮交易ではケベックを核とするフランス領「ヌーヴェル・フランス」に遅れをとっていたらしい。

なにしろフランス人は、わざわざ自分からバーチ・バーク・カヌーに乗ってトラッパーの前に現れ、勧められればカリブーの血も飲み干していたのだから、営業という面では行動力に大きな差がある。まさに、「足で稼げ」といったところだろうか。

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さらにフランス人たちがすごいのは、先住民の女性を妻として迎え、先住民の人たちとの橋渡し役となってもらっていた、ということなんだ。

なんだか熱心な営業マンが創業社長に気に入られ、「うちの娘と結婚しないか」と持ちかけられる光景を思い浮かべてしまう。例えとしてはちょっとずれているかもしれないけれど、いずれにしても陽気なラテン系、フランス人、恐るべしといったところだ。

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1608年、サミュエル・ド・シャンプランが毛皮の交易所を設けた「ケベック」は、先住民アルゴンキン族の言葉で「狭い水路」を意味している。

ケベックの象徴的な建築物であるホテル・シャトーフロントナックが、川幅が狭まったセントローレンス川を見下ろす崖の上に建っているのを見ると、砦が天然の要塞とも言うべき場所に築かれたことがよく分かる。

そんな要害の地にあったケベックも1763年、イギリスのものとなってしまう。北米での権益をめぐるイギリスとフランスの戦争で、ケベックがあえなく陥落したのは1759年のこと。フランス領「ヌーヴェル・フランス」はこの敗戦を受けて、「イギリス領ケベック植民地」となってしまうんだ。

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それでもケベックは、今もフランスを色濃く感じさせる街だ。石造りの建物の外壁に見られる「S」のような形の金具は、建物内部の梁を引っ張って強度を増すためのもの。

こうした古い家には建てられた年が記されたパネルが貼り付けられていたりする。「1725」。まだここが「ヌーヴェル・フランス」だったころの建物も、ケベックでは当たり前のように見ることができる。

また火災が相次いだケベックでは、煙突を防火壁で囲むといった基準も設けられていたそうだ。

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一方、セントローレンス湾に浮かぶオルレアン島は、初期のフランスによる入植当時を感じることができる場所だ。赤い窓枠の石造りの農家や協会などを今も目にすることができる。

「ヌーヴェル・フランス」が「イギリス領ケベック植民地」になると、スコットランドやイングランド、ニューイングランドから毛皮交易の富に魅せられた商人が到来し、フランス系や先住民との間に生まれた「メイティ」と呼ばれる人たちをカヌーの漕ぎ手として使役するようになる。

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そう言えば「赤毛のアン」の島、プリンス・エドワード島を訪れた時も、今では高級食材となったロブスターが、当時は貧しいフランス系の漁師が食べるものとして一段低く見られていたっけ。

ケベックを走る車のナンバープレートには、「Je me SOUVIENS」(ジュ・ム・スヴィアン=私は忘れない)という意味のフランス語が書かれている。ケベック州が掲げる標語だ。

その意図するところは諸説あるようだけれど、イギリスの植民地となっても、カナダになっても、ケベック人として誇りを忘れはしない、ということなんだろう。

ビーバーの毛皮が生み出す富に惹かれたフランス人が建設した「ヌーヴェル・フランス」は、同じように毛皮を追い求めたイギリスの力によって終焉を迎えることになる。

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世界で2番目に広い国土を持ち、主要先進国の1つという地位を占めるカナダという国家は、実はビーバーの毛皮が生み出した国だったんだ。

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